主の平和―御霊(みたま)と共に生きる オズワルド・チェンバーズ著サンプル

Oswald Chambers: Peace - Life in the Spirit

30日中 25日

大多数の人々は何が過ちであるかを見ようとしません。エレミヤのような預言者の話は彼らの心には響かないのです。正気を保ったまま過ちを直視するのは神以外にできることではないのです。もしも私たちの罪が取るに足りないものであり、私たち自身が人々の癒しを宣べ伝え、あらゆる場面において平安をもたらせるとするならば、十字架上のイエス・キリストの受難は全く意味のないものになってしまいます。キリストと共に隠された命を生きるということは、神のいない時に男女(訳注 アダムとエバを考えてみてください)がどのようであったかを憶えることを意味し、また、神が人を代々憐れみ、人と神の間をキリストが執り成してくださった意味もあります。

神様、私の隠れた欠点を取り除いてください。あなたのしもべである私を無思慮無分別な罪から遠ざけてください。そしてあなたが私に示してくださる平安と清さとを知ることができますように。

黙想への問いかけ 私たちが正しく創り変えられる前に、何が過ちなのかを明確にする必要があるのは何故ですか?なぜ罪があるところで平和をつくることが不可能なのでしょうか?なぜ清さが平安に必要なのでしょうか?

引用元『Notes on Jeremiah(エレミヤ書の覚書より)』『Knocking at God's Door(神の戸を叩く)』© Discovery House Publishers
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この読書プランについて

Oswald Chambers: Peace - Life in the Spirit

『主の平和 御霊(みたま)と共に生きる』は世界で最も親しまれているデボーションの書き手であり『My Utmost for His Highest』(邦題 『いと高き方のもとに』)の著者であるオズワルド・チェンバーズの著作からのクリスチャンとしての気付きに満ちた引用集です。神の安らぎを見つけ、人生における神の平和の重要性についてより深い理解を得ていきましょう。

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この読書プランを提供して下さった、Discovery House Publishers に感謝します。詳細については、こちらのウェブサイトをご参照ください。www.utmost.org