喜び―主にある強さ オズワルド・チェンバーズ著サンプル
例えば、私たちの主がその地上での生涯を、隣人にとって祝福であったかどうかで測るとするなら、なんと、主は多くの人にとって「つまずきの石」でした。事実、主を取り巻く人たちにとっても、ご自分の郷里においてそうでした。なぜなら、彼らは主を通して聖霊なる神を冒涜したからです。主の郷里では「彼らの不信仰のゆえに、そこでは力あるわざを、あまりなさらなかった。(マタイによる福音書 13:58)」とあります。
もし、私たちの主がご自分の生涯を目に見える結果で測っていたとしたら、さも惨めだったことでしょう。私たちがこの地上にいるのは魂を勝ち取るためでも、隣人に良いことをするためでもありません。それらは自然な結果であって、目的ではありません。そして、この点が、多くの者が主に従うことをやめてしまうところです。私たちは神が私たちを隣人への祝福としてくださる限り、神に従います。しかし、神がそれをなさらないと、私たちは従いません。あらゆることの喜びは、それが草の葉1枚であっても、その創造の目的を全うすることです。つまり、私たちが神の栄光を讃えるものとなることです。
黙想のための問いかけ 私は自分の人生をどのように測るか?私は信仰や神への畏怖といった神の尺度を用いているか、それとも人気、生産性、効率性といったこの世の価値観を用いているか?
引用元『The Love of God(神の愛)』© Discovery House Publishers
もし、私たちの主がご自分の生涯を目に見える結果で測っていたとしたら、さも惨めだったことでしょう。私たちがこの地上にいるのは魂を勝ち取るためでも、隣人に良いことをするためでもありません。それらは自然な結果であって、目的ではありません。そして、この点が、多くの者が主に従うことをやめてしまうところです。私たちは神が私たちを隣人への祝福としてくださる限り、神に従います。しかし、神がそれをなさらないと、私たちは従いません。あらゆることの喜びは、それが草の葉1枚であっても、その創造の目的を全うすることです。つまり、私たちが神の栄光を讃えるものとなることです。
黙想のための問いかけ 私は自分の人生をどのように測るか?私は信仰や神への畏怖といった神の尺度を用いているか、それとも人気、生産性、効率性といったこの世の価値観を用いているか?
引用元『The Love of God(神の愛)』© Discovery House Publishers
この読書プランについて
『My Upmost for His High(邦題「いと高き方のもとに」)』の著者であるオズワルド・チェンバーズ氏の知恵を、「喜び」についての洞察を集めたこの宝箱から見出してください。毎日のデボーションはチェンバーズ氏の書籍からの引用と、あなた自身のための「黙想への問いかけ」という形式で進められています。彼のシンプルでまっすぐな聖書の知恵であなたを魂を踊らせ、課題を差し出される中で、神様ともっと対話したいと願うあなた自身に気が付くことでしょう。
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We would like to thank Discovery House Publishers for providing this plan. For more information, please visit: www.utmost.org