賛美を住まいとされる主 ─ 真の礼拝者として生きるサンプル
神が私たちの内に住むために
私たちにとって、礼拝は神と会うための場所です。
天幕(祭壇)での捧げ物
聖なる、義なる神はエデンの園から人が出た後に「人が神に会う場所」を与えるために会見の天幕、祭壇についてモーセに命じられました。そこは罪人が聖なる神の前に出る為にいけにえの動物を捧げる場所であり、清められる場所でした。人は必ず捧げ物を持って神の前に来ました。
また「イエス・キリスト」も待ち合わせ場所(祭壇)であり、私たちは「世の罪を取り去る神の小羊イエス」が十字架で死なれ、血潮が捧げられたので、父なる神の前に「会いに行く」ことができるのです。
イエスを信じて聖霊が与えられた人は「聖霊の宮」とされ、特定の場所に制限されず、いつでも神にいけにえを捧げることができるのです。感謝と賛美(神の素晴らしさ、人格や御業を告白する)のいけにえを信仰によって神に捧げるなら、その捧げ物を受け取りに主の臨在が天から降りて来ます。そして天が開き霊的な領域に変化が起こるのです。
- 自分の礼拝、賛美の生活を考える時に、神に出会っていること、聖霊が自分の内に住んでいることを実感できますか?
- イエスによって全ての罪が赦され、聖められた確信がありますか?
- どんな時に神の愛に留まっていると感じますか?
- 趣味や日常の生活の中で大好きなことをしている時、感動した時(大好きなサッカーチームを応援している時、美味しいケーキを食べた時など)、あなたはどんな反応をしますか?神を賛美する時はどうですか?
聖なる神に自分を聖別(神の目的のために取り分ける)していただくよう願い、そのための導きを次のように祈り求めてみましょう:
主イエスキリストの流された血潮を通して、私を聖なる神に捧げることができるものとしてくださり、感謝します。聖なる者、神の義とされた者として、どのように生きればよいのか教えてください。日々の生活の中で「聖なる神のもの」として相応しいこと、相応しく無いことを教えてください。
この読書プランについて
賛美は、ただ楽器を演奏し、歌を歌うことだけではありません。私たちが霊とまことによって主を礼拝する時、天が開き、賛美の中に住まわれる主に出会います。主との親しい交わりの中で、真の礼拝者としての心を受け取り、主に触れられて、私たちは永遠に変えられるのです。賛美はまた、霊的な領域に大きな影響を及ぼします。私たちが主を礼拝する時、御国の現実がこの地上に降りてくるのです。9日間のプランで、真の礼拝者としての生き方を見ていきましょう。
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