イエスが話された物語サンプル

イエスが話された物語

29日中 19日

かわいそうに思う

もし放蕩息子の物語が、テレビの実録番組だったら、こんな風に続くのではないでしょうか。「放蕩息子がまだ家から遠く離れた場所にいるとき、父親の家の警備員が彼を見つけました。そして、父親はこの親不孝者が家の敷居をまたがないように厳しく言いつけ、もし息子が近くに来ようものなら、犬に追いかけさせるように、と命じました」と。

一方、聖書には父親の行動がこのように記されています。この父親は、父なる神を表しています。「そこで立って、父のところへ出かけた。まだ遠く離れていたのに、父は彼をみとめ、哀れに思って走り寄り、その首をだいて接吻した」(ルカの福音書 15章20節)。“

聖書に出てくる神の「恵み」という言葉を、これほど美しく描いた他に場面はありません。神はひとり子イエスをこの世におくり、イエスが自らすすんでカルバリの丘で十字架にかかることによって、愛す価値のない人間を愛すという決断をされたからです。イエスは私たちに、父なる神の恵みにいつでも頼ることができると知って欲しいと思っておられます。それは、私たちの救いが自分の立派な行ないによるのではないからです。

聖書に書かれている「かわいそうに思った」とは、父親が息子の恥と痛みを感じたことを意味しています。そしてなんと、この父親はこの愚かな息子の元に走り寄って抱きしめたのです。あなたも今すぐ、父なる神の腕に抱きしめられたいと思いませんか。
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この読書プランについて

イエスが話された物語

イエスはしばしば、「たとえ」を使って話されました。この小冊子では、イエスが話された4つの有名なたとえ話を分かりやすく紹介します。

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この読書プランを提供して下さったTime Of Graceに感謝します。この出版元についての詳細は以下のリンクからご覧いただけます: www.timeofgrace.org