すべてが新しいサンプル

All Things New

5日中 4日

「コリント人への第二の手紙」を学ぶ上で私個人として考えさせられた点がひとつあるとすれば、それはパウロが難しい人間関係に尻込みしなかったことです。このことについては後ほど詳しく語りますが、コリントの聖徒たちはパウロに対していくつかの問題を抱えていました。そのうちのひとつは、パウロがコリントを訪ねると言っていたにもかかわらず、行かなかったことです。しかしパウロは自分の行動を釈明する前に、まずコリントの聖徒たちに対する自分の思いを説明しました。

「コリント人への第一の手紙」でコリント教会はパウロに好意的な反応を示しませんでした。パウロと宣教を共にするテモテは、パウロがこの手紙を書いた後にコリントを訪ね、重要な問題があることをパウロに報告しました。道徳上の問題、腐敗した信仰、教会内の派閥争いなど、例を挙げれば切りがありません。その結果、パウロはコリントの聖徒たちと直接会って問題に対処しようとエペソからコリントへと船出したのでした。パウロはこのことを2コリント2章1節から2節で「悲しみの訪問」と呼んでいます。

今日の聖書箇所は、パウロが来ない動機についてコリントの聖徒たちが疑問視していることを表しています。パウロはコリントの聖徒たちを愛してやみませんでしたが、パウロに敵対する者が束になってコリントの教会をかき乱し、パウロの真実で誠実な献身に疑いを投げかけます。私の意見をここでちょっと付け加えますと、これは最悪です。私は誤解されるのが嫌いです。特に、誰かのために一生懸命に努力したり、犠牲になったり、抵抗したり、危険を冒したりした時に誤解されるのはつらいことです。こういったことは頻繁に起きるわけではありませんが、起きた時には次のふたつの基本的な問いかけをして取り組むようにしています。1. 主の御前で汚れのない良心に立ち止まり、自分の評価を主にゆだねているか?(12節)2. 私を非難している人をこれからも愛し続けられるか?

「あなたは自分の身を守ろうとしている。」と誰かに言われるとき、それは大抵良い意味ではありません。沈黙を守り、自分のことについて釈明しないことだけが信仰者にふさわしい反応のように思われがちです。(箴言9:8 に「あざける者を責めるな」とあるように。)しかし時に、自分の行動について釈明することは、適切であるだけでなく、良い関係を築く上できわめて重要です。では、自分の行動について弁明するべきか否かをどうやって判断すればよいでしょう?私が使うリトマス試験はこうです。もし自己弁護の動機が自己防衛であって、プライド、怒り、恐れ、自己の正当化を特徴とするなら、それは自分の肉から来ているに違いありません。しかし一方、自己弁護の動機が隣人への愛であって、はっきりしていて、謙遜(けんそん)、親切、誠実を特徴とするなら、それは御霊から来ているのです。この手紙を通してパウロがはっきりと自分を弁護しているのは、保身のためではなく、コリントの聖徒たちへの愛によるものだということを心に留めてください。

誤解されたり、誤って非難されたりした時、あなたはふだんどういう反応をしますか?

Day 3Day 5

この読書プランについて

All Things New

「すべてが新しい」では、コリント人への第二の手紙からこの世における冒険的とも言える、パウロの大胆な信仰の神学と、私たちに大胆でありなさいという神の召しについて探究しましょう。ケリー・ミンター氏(Kelly Minter)は、クリスチャンとしての歩みが、いかに私たちの自然な傾向と相反するように思えるかについて、わかりやすく説明し、しかし、クリスチャンとしての歩みは、この上なく、そして永遠にすばらしいことであると証明してくれます。この5日間の読書プランを通して、次のような点について深く考えましょう。難しい人間関係と向き合うには。自分の評価を神にゆだねること。自分のアイデンティティーをキリストに根付かせるには。苦難の目的とそれに対する神の備えを理解するには。私たちがこの世で福音の光になるためには。

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この読書プランを提供してくださった、LifeWay Womenに感謝します。詳細については、こちらのウェブサイトをご参照ください。 http://www.lifeway.com/allthingsnew