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All Things New

5日中 3日

キリストの苦難が私たちの人生に重なるとき、次のような共通項があるとパウロは伝えたかったのではないでしょうか。1.キリストのための苦難、2.キリストによって私たちに定められた苦難、3.キリストとの関係の中で生まれる苦難、4.キリストが耐えたような苦難(注1)。覚えておくべき重要なことは、キリストを信じる者として、私たちには明らかにキリストとの関係から生まれる苦難がある、ということです。私はそう信じています。多くのクリスチャンが世界中で厳しい迫害に苦しんでいます。一方、それほどではないにしろ、それでも痛みを伴って信仰を貫いている人たちがいます。パウロは、苦難の中にいるときにこそ生まれるイエスとの交わりがあることに気がつきました。なぜなら、イエスほど苦難を深くご存じな方は他にはいないからです。

私はまだ苦難を楽しんでいる人に出会ったことはありませんが、苦難の真っただ中でイエスとの親しい交わりを見いだした人をたくさん知っています。平たんな道を歩いている時には気づけないイエスの側面があります。ですから、苦難を通した主イエスとの親しい交わりを一度味わってしまいますと、もう平たんな道には戻りたくないと思うかもしれません。またパウロは、イエスとの特別な交わりを体験することに加えて(ピリピ3:10)、なぜ苦難は祝福をもたらすのかという、もうひとつの理由を明らかにしています。

それは、キリストの苦難がわたしたちに満ちあふれているように、わたしたちの受ける慰めもまた、キリストによって満ちあふれているからです(コリント2 1:5)。すごいことですよね!

4節は聖書の中でも最も美しい箇所のひとつでしょう。「神は、いかなる患難の中にいる時でもわたしたちを慰めて下さり、また、わたしたち自身も、神に慰めていただくその慰めを持って、あらゆる患難の中にある人々を慰めることができるようにして下さるのである。」私たちは苦難の中を通るとき、自分の痛みの他には何にも目を向けられなくなってしまうことがあります。しかし、自分の苦難と慰めの体験を通して、同じような苦難にある人に自分にしかできない特別な慰めを与えることができると気づく時、苦難の中にすばらしい目的を見いだすことができます。

キリストの苦難と慰めは、私たちの人生においてふたつの輪のように並行して進んでいます。クリスチャンとして、キリストの慰めのない苦難は決してありません。また、キリストの苦難から離れては決して知り得ない慰めがあることも私は信じています。もしあなたが試練の中を重い足取りで歩んでいるとしたら、しかも自分の忍耐の限界を超えた耐えられないような試練にあっているとしたら、神の御子イエスを通してまっすぐにあなたの人生に流れ出る神の慰めを求めてください。イエスはあなたの痛みを癒やすのに十分な慰めを与えると約束してくださいます。神の慰めに満たされたとき、あなたも同じ痛みを持つ人の傷を癒やす助けになりたいと強く願うに違いありません。なぜなら、神の慰めは自然にあふれ出るからです。神の慰めは分け与えてもなお、余りあるものです。


(注1)David E. Garland, The New American Commentary, Volume 29, 2 Corinthians (Nashville: Broadman & Holman Publishers, 1999) 。2017年8月7日、 mywsb.comよりアクセス。

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この読書プランについて

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「すべてが新しい」では、コリント人への第二の手紙からこの世における冒険的とも言える、パウロの大胆な信仰の神学と、私たちに大胆でありなさいという神の召しについて探究しましょう。ケリー・ミンター氏(Kelly Minter)は、クリスチャンとしての歩みが、いかに私たちの自然な傾向と相反するように思えるかについて、わかりやすく説明し、しかし、クリスチャンとしての歩みは、この上なく、そして永遠にすばらしいことであると証明してくれます。この5日間の読書プランを通して、次のような点について深く考えましょう。難しい人間関係と向き合うには。自分の評価を神にゆだねること。自分のアイデンティティーをキリストに根付かせるには。苦難の目的とそれに対する神の備えを理解するには。私たちがこの世で福音の光になるためには。

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この読書プランを提供してくださった、LifeWay Womenに感謝します。詳細については、こちらのウェブサイトをご参照ください。 http://www.lifeway.com/allthingsnew