み言葉を知ろうサンプル
み言葉は、「罪の支払う報酬は死である」と明確に語っています(ローマ人への手紙 6章 23節)。また、み言葉を知らない人々にも、善悪や罪に対する神の裁きについての本能的な知識が与えられていると、ローマ人への手紙 1章 18~20節にあります。
罪の中で生きている人は、放蕩息子のたとえ話に登場する弟のように惑わされています。これは、まさに聖書がコリント人への第二の手紙 4章 4節で語っていることです。イエスが言われた「彼が本心に立ち返った」とは、放蕩息子が惑わされていた状態から解かれ、霊的な目が開かれたという意味です。
この放蕩息子のたとえ話のように、痛ましい経験がしばしば人々を惑わされた状態から解放し、本心に立ち返らせることがあります。神が惨事を引き起こされるのではありません。神は預言者エレミヤを通して、このように語っておられます。「あなたの道とその行いとが、あなたの身にこれを招いたのだ」(エレミヤ書 4章 18節)。しかし痛ましい状況はこのようにも書かれています。「主よ、わたしは知っています。人の道は自身によるのではなく、歩む人が、その歩みを自分で決めることのできないことを。」(エレミヤ章 10章 23節)。ですから、私たちはどこかに助けを求めることになるのです。痛い目にあって学ぶことは最善ではありませんが、理由はどうであれ神に立ち返れば必ず恵みがあるでしょう。
パウロはテモテへの第二の手紙 3章 16~17節で、次のように語っています。「聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。それによって、神の人が、あらゆる良いわざに対して十分な準備ができて、完全にととのえられた者になるのである。」み言葉は、人を戒め、正しい者とするために与えられました。み言葉に従えば、先に悲劇を経験せずとも「十分な準備ができて、完全にととのえられた者になる」ことができるのです。
この読書プランについて
み言葉を深く理解するためには、まず、み言葉について知る必要があります。 この5日間の読書プランを通してみ言葉を知り、理解を深めるきっかけとしましょう。
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