普通であるという祝福サンプル
5円玉
神から車を譲るよう示されたのだと誰かがあなたに言ったとしましょう。ありがたく車道で待っていると、その人はトラックでやってきて車のエンジン、ハンドル、タイヤ4本、そして運転席を投げ落としてきました。ぼうぜんと車のパーツの山を見つめているうちに、その人は良いことをしたと満足げに走り去ってしまいました……。
車の大きなパーツだけをもらっても、それは車ではないのでプレゼントは役に立ちません。車は車輪やエンジンだけでなく、無数のナットやボルト、ネジ、ベルトなどが必要で、それで全体を支えています。
パウロが「あなたがたのからだを、神に喜ばれる、生きた、聖なる供え物としてささげなさい」と言っているのは、まさにこのことです。私たちの全人生をです。大きくて重要なパーツもあれば、小さくてささいなパーツもあります。
結婚について考えてみましょう。新婚旅行、家を建てること、結婚記念日、思い出に残る休日、時にはペットや子供など……これらはすべて結婚生活の魅力です!一方で結婚生活には食洗機に食器がすっきり洗えるようセットしたり、ファミリーサイズの牛乳を買ったり、税金を申告したりすることも含まれています。それらもすべて……結婚なのです。むしろ結婚記念日や祝日といった特別な日にだけ結婚してるねと相手が言うなら、それは車の大きなパーツだけを車道に投げ出していくのと同じことです。
パウロは、神のあわれみによって、自分の全人生を供え物としてささげることを求めています。期待されているからするのではなく、神のあわれみを通して自分の人生をささげなさいということです。昨日読んだところと合わせて次のように覚えておくと良いでしょう。
神のあわれみに満ちた人生の望みは、自分が持っているものに忠実になることです。
自分自身を霊的なささげものとして神にささげるとはどのようなことでしょうか。
フレッド・クラドック伝道師の例え話を参考にしてみましょう……。
自分の人生のすべてを神にささげることを100万円の札束を机越しにすっと差し出して「はい、神様」と渡すようなものだと考えがちです。
しかしイメージとしてもっと正確なのは、神が「よろしい、あなたの人生を受け入れる」と言われてから、その100万円の札束を100万円分の5円玉が入った袋と交換し、その袋を私たちに返してくださるのです。そして神はこうおっしゃいます。「これはわたしのものである。しかし、わたしはあなたに、5円玉を一つずつささげてほしい。」
500円の価値がある経験もあるかも知れません。でも人生のほとんどは、一度に5円玉だけを神にささげて、普通の生活のうちに、主のすばらしく、私たちに喜びを与えてくださる、完全な御心を見いだすのです。
この読書プランについて
もし自分の霊的な生活をもっと輝かせるべきだというしつこい思いが、聖霊からのものでなかったとしたらどうしますか?このデボーションを読めば、どこか見知らぬもっと青々とした霊的な牧場(まきば)ではなく、今現在の自分の生活にある緑の牧場で人知では測り知ることのできない平安を見いだせるようになるでしょう。さあ、一緒にこれから始まる10日間を通して、普通の生活にあるすばらしさから祝福を見つけ、毎日の生活に満足することを学びましょう。
More