普通であるという祝福サンプル

The Blessing of Ordinary

10日中 5日

ししとくま

サウルは、ゴリアテに立ち向かおうとしている自信に満ちた若者のうわさを聞きつけます。ダビデはサウルの前に連れていかれましたが、王はこの痩せて日焼けした羊飼いのことが気に入りませんでした。
サウルの言葉にはあざけりさえ混じっているように聞こえます。
「行って、あのペリシテびとと戦うことはできない。あなたは年少だが、彼は若い時からの軍人だからです。」

しかし、これに対するダビデの答えは、彼の自信の源を明らかにしています。そしてそれはまた、見た目が良くても一歩を踏み出す信仰を持たない兵士たちとダビデの違いを、私たちが理解する鍵なのです。

ダビデは、荒野で羊を導くとき、外敵に目を光らせていましたが、つえと石投げでおそろしい獣を撃ち殺さなければならなかったことも2度ありました。

ですから、ゴリアテの挑戦を聞いたダビデは、ゴリアテのことも羊を襲う野獣に対するように次に立ち向かう相手として見ていたのです……。

「ししのつめ、くまのつめからわたしを救い出された主は、またわたしを、このペリシテびとの手から救い出されるでしょう」。

ゴリアテとの対決は、ダビデが自分の栄光を得ようとしたのではなく、主との交わりの中で確かな信頼がすでに築かれていたからこその信仰のあらわれでした。その交わりは、ダビデが仕事の普段遣いの道具を使ってやるべきことをやり遂げるという、普通の生活を忠実に過ごすことから始まったのです。大きな敵があらわれたときに、信仰に満ちた一撃を与えるための、普通の生活という終わりのない火の中で鍛えられた剣なのです。

普通の生活を送っていたダビデに試練と劇的な変化が訪れました。そうしたことに対してダビデは信仰と行いで応えました。自分が生まれつき優れているからではなく、主がおられるから敵に勝利するのだと信じたのです。
さあ今、あなたの心にはどんなことが浮かぶでしょうか?

あなたが今いる場所で忠実に歩めるよう求め、普通の生活で精いっぱい自分のベストをつくして行い、神を信じて「ししとくま」に立ち向かえるよう神に求めてください。

ししやくまが怖すぎる場合は野ネズミにたとえて神を信頼できるように祈りましょう。理論的にしか神を信じていない信仰ならば、叫んではいるけれど信仰のない兵士のようになってしまいます。目標は立ち向かう相手がいつか野ネズミからゴリアテになることではありません……目標は信頼に満ちた交わりにおいて神を知り、今この瞬間に自分自身のつえと石投げに満足することなのです。

問題は、その自由と自信の中で生きるためには、巨人との戦いに向かうダビデがサウルに「祝福」されたときに直面したような誘惑を克服しなければならないということです。それについては明日学びましょう。

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この読書プランについて

The Blessing of Ordinary

もし自分の霊的な生活をもっと輝かせるべきだというしつこい思いが、聖霊からのものでなかったとしたらどうしますか?このデボーションを読めば、どこか見知らぬもっと青々とした霊的な牧場(まきば)ではなく、今現在の自分の生活にある緑の牧場で人知では測り知ることのできない平安を見いだせるようになるでしょう。さあ、一緒にこれから始まる10日間を通して、普通の生活にあるすばらしさから祝福を見つけ、毎日の生活に満足することを学びましょう。

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このプランを提供してくださったMatt Orth氏に感謝します。詳細についてはこちらをご覧ください。 http://www.lesswithoutyou.com/matto/