欠けた平安サンプル

Missing Peace

7日中 5日

神との平和

主との約束と主のご性質を覚えることをお話ししてきましたが、もし神に対しやすらぎを感じられない場合はどうすればよいのでしょうか?もしかしたら最近主に見放されている気がして、少し主にいらだったり、葛藤したりしているかもしれません。または愛にあふれている神がなぜ自分に困難な道を示しているのかわからずに失望しているのかもしれません。

そんな時、主はどんな激しい感情も思いも受け止めてくださることを思い出してください。

何も言わず背を向けられて離れられるよりも、主は疑問や懸念を真っ向からぶつけられる方がずっとうれしいのです。あなたに平和の道を授けるために、惜しまずに御自分の御子をこの世に遣わされた主は、むしろ心からあなたを見守り続けています。

イエスさま抜きでは、私たちは自らの罪のために主と引き離されてしまいます。しかし主は愛する天の御父だからこそ、私たちとの交わりを望み、そのための道をお作りになりました。

しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲らしめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。イザヤ書53:5

イエスさまは私たちと主との交わりに平安を与えてくださいました。これは私たちが何もせずともイエスさまを通して、愛し、ゆるし、気にかけてくださる主に完全に自由に近づけるということです。自分の思い通りに事が運ばないとき、主に怒りを覚えてもかまわないのです。けれども怒りと痛みで主の素晴らしいご性質を曇らせないでください。

「私たちは、信仰によって真実であると知っていることを使って、痛みに私たちの感情を教えなくてはなりません」とエイミー・グローシェル牧師は言います。

あなたの感情は当然のものですが、それに飲み込まれてはいけません。詩篇46:10ではこのことが強く語られています。

「静まって、わたしこそ神であることを知れ。わたしはもろもろの国民のうちにあがめられ、全地にあがめられる」。詩篇46:10

静まって、神が神であることを感じるのではなく、私たちの神であることを知れと指示しています。感情というのはその状況に応じた自然な反応かもしれませんが、真実に基づいたものであるとはかぎりません。ですが私たちの信仰の中心である主は、いつも真実で動じないので、主を通して心をクリアにして、心を曇らせないことができます。

これは必ずしも主を疑ってはいけないということではありません。詩篇には、まだ主は自分を気にかけてくださっているか、なぜ主は状況を良い方向に変えてくださらないのかという、ダビデたちの嘆きと訴えであふれています。ですがダビデたちはいつも、必ず真実に舞い戻ってきます。その真実とは主は良い御方で必ず私たちに一番良い道を用意してくださっているということです。主は全てを統べ、支配されています。それゆえに私たちの信頼と賛美にふさわしい御方なのです。

もし今日、主との間にわだかまりがあると感じるのなら、その感情に御言葉の力を教えましょう。イエスさまが主との平和の道であること、私たちの代わりに働いてくださったこと、そして平和の代償を全て払われたこと、この全ての福音をもう一度思い出してみましょう。

4 6

この読書プランについて

Missing Peace

人生が苦しいときに平安は得られると思いますか?得られます。けれども自分一人だけの力では得られません。この一年、圧倒されるような出来事の中で、まだ答えを見つけられないことも多いでしょう。クレイグ・グローシェル牧師のメッセージシリーズとともに、この7日間の読書プランで失われた平安を探しませんか?

More

このプランをご提供下さった、Life.Church の皆様に感謝申し上げます。詳細につきましては、こちらのウェブサイトをご参照下さい。 https://www.life.church/