欠けた平安サンプル
人間関係の平和
不確実な日々は不安定なので、人間関係の対立や亀裂を広げてしまうことがよくあります。前代未聞、という言葉がこの2、3年を表すにはぴったりですよね。その中で思い悩んだ人間関係がいくつかあったのではないでしょうか?
家族とのけんか、友達や恋人とのすれ違い、インターネットやSNS上でのトラブルなど、時には最も近く、一番愛している人たちが悩みの種でストレスの元であったりします。
ですが、平和な人間関係を築くことは不可能ではありません。イエスさまは私たちに信徒としてこの世に平和をつくることを呼びかけています。イエスさまは山上の説教でこう言われました。
平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう。マタイによる福音書5:9
ここで注目してほしいことは、イエスさまは平和を保つ人たちとは言わず、平和をつくり出す人たちと言われていることです。平和をつくり出すには何かしらの働きが必要です。ただ流れのままに身をまかせて、衝突を避けるために全てのことに同意し、平和を維持することとは異なります。これらの行動は争いを避けており平和に見えるかもしれませんが、本当の平和を築きあげたといえるのでしょうか。
争いや対立を避けたり、ないようなふりをしたりするのは大変簡単ですが、それははたして愛ある対応なのでしょうか?ローマ人への手紙12:9では、愛には偽りがあってはならないと書かれています。傷ついた気持ちを隠せば、平和をもたらすのではなく、平和をつくり出すのを避けていることになります。
ですが、パウロはローマ人への手紙第12章で、どれだけ難しくても、あきらめずに平和を追い求めるよう呼びかけます。私たちを傷つけた人を祝福し、復讐(ふくしゅう)を望まず、共に生きることを勧めた後、さらに私たちがどうふるまうべきか課題を与えています。
あなたがたは、できる限りすべての人と平和に過ごしなさい。ローマ人への手紙12:18
「あなたがたは、できる限り」というところに注目してみてください。これは相手がどんな変わり者だろうと関係ないのです。どれだけ周りが騒がしくても、主は私たちに平和を追い求めてほしいのです。直接相手と話し合うことだったり、状況を悪化させてしまうかもしれない発言を飲み込んだり、それはいろいろなかたちをしていますが、どれも平和をつくり出していることに変わりはありません。
では、どうしたら平和をつくり出す人になれるのでしょうか?この質問にはヤコブの手紙から知恵を借りましょう。
しかし上からの知恵は、第一に清く、次に平和、寛容、温順であり、あわれみと良い実とに満ち、かたより見ず、偽りがない。義の実は、平和を造り出す人たちによって、平和のうちにまかれるものである。ヤコブの手紙3:17-18
平和をつくり出す人とは、主の知恵を賜れるよう祈り、その知恵で心が平和で満ちているのか、それとも自尊心で満たされているのかを見極められる人を示しています。自分の意見や主張を口にすることも大事ですが、相手を自分より優先し愛することの方が大事だと気づけるということです。
平和をつくり出すとは、関係性を壊すのではなく、築き、修復するという目的で相手と接し、謙虚な心と恵みを持って自分が思っていることを伝え、分かち合おうとすること。愛にあふれる正義を目的としているのか、ただ自分が正しくありたいのか、見極めなくてはなりません。
人間関係の安らぎを求めるとき、一度立ち止まってみてください。相手が悪と決めつけるのではなく、相手が最善な気持ちと心を持って臨んでいるという前提で接してみてください。謙虚な心を持ち、自分が思っていること、考えていることを共有して、共感を示してみましょう。そして、自分がどうやってこの関係に平和をつくり出せるか祈ってみましょう。
そうすれば、あなたは平和をつくり出す人になり、まことに神の子と呼ばれます。