霊の戦いとは何か?サンプル
武具の総仕上げ
これまでお話ししてきた六つの武具にはそれぞれの役目があり、使えばそれぞれがすばらしい効果を発揮します。戦いに行くにはそれで十分だと思われるかもしれませんが、最後にもう一つ必要な武器があります。
「絶えず祈と願いをし、どんな時でも御霊によって祈り、……」
(エペソ人への手紙 6:18)
「祈り」。私たちは霊的な戦いに必要な武具でふさわしく装備をしました。しかし、戦いに臨む時も、戦いの最中にも、戦いが終わるまで導いてくださる神の力をいただけるように絶えず祈らなければ、その武具は大した力を発揮しません。もし自分の力で戦うなら、すべての努力は無駄になります。私たちが戦いの間ずっと祈ることで、神との交わりは深まり、神をより求めるようになります。それが、神が私たちに与えようとしておられる力をしっかりつかむために私たちがやるべきことです。
私たちの祈りには、神への服従が伴っていなければなりません。ヤコブの手紙4章7節は、私たちが最初にしなければならないことを見事に語っています。「神に従いなさい。」神に従うということは、私たちの人生を完全に神に明け渡すということです。霊的な武具で完全武装し、心に祈りを持って、最高の権威をお持ちの御方に服従するのです。人生のすべてにおいて神に服従する時、悪魔に立ち向かう強さを与えられるのです。そうすれば、どうなると思いますか?悪魔は逃げ去るのです。
にもかかわらず、そうはせずに、まだ神に明け渡しきれていない時に、「まず」悪魔に立ち向かったり、悪魔を責めようとしたりすることが、よくあります。私たちが自分の意志、自分のやり方、欲望を手放さず、神が召してくださることに自分を明け渡していない状態で悪魔に立ち向かうのは無理があります。神に従っていない時に霊的な攻撃を経験しても、驚くには当たりません。神に従うことは初めの一歩であるだけでなく、同時に、従うことによってじつはサタンに立ち向かっているのです。
ですから、あなた自身と、あなたの友人、そして教会とが一致して、この戦いの中で強くなれますようにと祈ってください。祈りは、弱った人に力を与え、打ちしおれた人に希望を与えます。祈ることで、私たち人間の力は不十分で、戦いを前進する方法はじつは服従という姿勢でなされることを思い出させます。祈りは、サタンの狡猾(こうかつ)な策略に対するすぐれた対策です。
キリストに従う者として、あなたを待ち受ける日々は希望、喜び、平安で満たされています。しかし、それは霊的な戦いが終わったわけではありません。戦いは終わっていません。私たちが偉大な神に絶えず祈り続けるなら、より多くの平安と希望があります。私たちが学んできた神の真理に立つこと、そしてそこに祈りを組み合わせることで、私たちにとって最も理解しがたい状況下で、最もその効果が発揮されるのです。
この読書プランについて
私たちがキリストに従うと決心したなら、霊の戦いを交えることになります。霊の戦いは目に見えず、気付かないことがしばしばです。しかし、目に見えないからといって、存在しないわけではありません。霊の敵は、私たちの人生の邪魔をして、みじめな生涯を送らせようと思っています。この5日間の読書プランでは、神の力を頼りにした勝利の道を学びます。さあ、今こそ、始めましょう。
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