霊の戦いとは何か?サンプル
帯、胸当、履物(神の武具—其の一)
戦いで兵士が身に付けるのは金属製の武具ですが、エペソ人への手紙6章では神の霊的な武具と、その霊的な武具が人生で果たす役割について述べています。これは霊の領域における、闇の力と戦う方法の説明です。武具は六つの部分からなっており、これに日々の祈りが加わることで一式がそろいます。今日は、最初の三つの武具、「真理の帯、正義の胸当、平和の福音の備えの履物」についてお話しします。
真理の帯
兵士にとって、帯は最初に身に着けるものです。ほかの武具はすべてこの帯に装着しました。神の言(ことば)は真理の源という「帯」であり、ほかの武具を装着する前に、一番先に身に着けなければなりません。私たちはキリストに従う者として、常に神の真理に立たなければなりません。この帯を、祈りが導かれるために、罪をおかさないために、またおそれるような時に自分を強めるために使います。そして、神の真理を知ることで、置かれた状況によって真理とは何かを定義しなおさずにすみます。一日目で学んだように、私たちの霊の敵にとって、一番の狙いは欺きです。だまされている時は、だまされているということに気付きません。だからこそ、欺きに対処するのはとても難しいのです。そのため、神の真理を知らなければなりません。
正義の胸当
兵士にとって、胸当は最も命にかかわる臓器を守るものです。私たちが公正に、また「義の道」を生きる時、この胸当はより強力な防具となります。主の御前(みまえ)に正しく生きることを選び、最善を尽くして主に従うことで、サタンが私たちを攻撃する機会は減ります。これは、私たちが神の愛を得るために行うのではありません。愚かな選択によって不必要な困難を自ら招くことがないように、行うのです。もし罪をおかす道をとるなら、象徴的な意味において胸当を外しているのです。そして、サタンの攻撃に自らをさらしています。正義の胸当とは、完璧を目指すとか、自分が「正しい」と思うことに従って生きるとかいうことではなく、神の真理に従って生きる人生を選ぶということなのです。
平和の福音の備えの履物
兵士にとって、履物はしっかりした土台になるだけでなく、身を守る役目も果たします。兵士が戦いに出た時、足元の心配がないというのはとても重要です。平和の福音は堅固な土台で、戦いに足を踏み入れた時、堂々と立つことができ、また守ってくれるのです。この確信があれば、試練やサタンの攻撃に見舞われた時でも揺るがされることはありません。そばかりでなく、私たちの「足」は、いつでもイエスの福音を宣べ伝えるたえるために、いつでも備えている必要があります。この福音、すなわち「良い知らせ」は、すべての人の救いです。私たちは福音を知り、福音に生き、福音を宣べ伝えるための備えをしておかなければならないのです。
この読書プランについて
私たちがキリストに従うと決心したなら、霊の戦いを交えることになります。霊の戦いは目に見えず、気付かないことがしばしばです。しかし、目に見えないからといって、存在しないわけではありません。霊の敵は、私たちの人生の邪魔をして、みじめな生涯を送らせようと思っています。この5日間の読書プランでは、神の力を頼りにした勝利の道を学びます。さあ、今こそ、始めましょう。
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