霊の戦いとは何か?サンプル
たて、かぶと、剣(神の武具—其の二)
昨日、神の武具のうち、最初の三つについてお話ししました。今日は、次の三つ「信仰のたて、救のかぶと、御霊の剣」へ進みましょう。
信仰のたて
兵士にとって、たては敵の攻撃から身を守る強力な武具です。たては、かぶとや、帯、胸当のように「身に着ける」ものではなく、兵士が「手に取る」必要のあるものでした。兵士のように、私たちは信仰のたてを持って、自分の役割を果たすことを求められます。たてを、ただ腕に着けるだけでは駄目です。霊的な矢から身を守るためには、たてを「手に取り」、信仰に立たなければなりません。霊的な矢とは何でしょうか?サタンが私たちに目がけて放つ、神の真理に反することすべてです。私たちは「信仰の量り」(ローマ人への手紙 12:3)を与えられています。そして、神を信頼するにつれて、私たちの信仰は育つのです。たてが兵士を矢や弾丸から守ってくれるように、神と神の真理、そして神の約束を信じる信仰を実践することで、私たちは守られます。サタンはうそや侮辱、誘惑をもって近づいてきますが、私たちは信仰のたてで敵の矢をはらい落とすことができるのです。
救のかぶと
兵士にとって、かぶとは常に最後に装着するものです。よろいの中でかぶとは頭を守るために最も大切なものです。救(すくい)のかぶとをかぶることによって、私たちはサタンのうそと悪巧みから身を守ることができます。敵は、神に愛されているのか、あるいは本当に救われているのか、私たちに疑念を抱かせたいのです。かぶとは、私たちの心をこのような攻撃から守ります。たとえ落胆するような目に会ったとしても、イエスが罪の支払う報酬から私たちを救ってくださり、イエスを通して永遠の命の希望を与えてくださったことに、希望と慰めを見いだせるのです。
御霊の剣
兵士にとって、剣は防御のためだけではなく、唯一の攻撃用の武器です。兵士が武具の他のすべての部分を身に着けても、剣がなければただ金属で覆われただけの体にすぎないでしょう。御霊の剣は神の言であって、私たちを守り、また、サタンを滅ぼすものです。ヘブル人への手紙4章12節から13節では、神の言を「生きていて、力があり、もろ刃のつるぎより鋭い」と表現しています。私たちは、霊的な戦いにある時、神の言を用いることで剣を振るうことができます。神の言は核心を突いて神の真理を明らかにするからです。荒野でサタンに誘惑された時、イエスは神の言を用いられました。私たちもそのようにするべきです。神の言を知ってこそ、その使い方を知り、勝利を得られるのです。剣は時間と共に切れ味が悪くなりますが、イエスを信じる者は、絶えず神の言を学ぶことでその刃を研ぎ澄ますことができるのです。
この読書プランについて
私たちがキリストに従うと決心したなら、霊の戦いを交えることになります。霊の戦いは目に見えず、気付かないことがしばしばです。しかし、目に見えないからといって、存在しないわけではありません。霊の敵は、私たちの人生の邪魔をして、みじめな生涯を送らせようと思っています。この5日間の読書プランでは、神の力を頼りにした勝利の道を学びます。さあ、今こそ、始めましょう。
More