主に従うとはどういうことか?サンプル
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自分のことよりも、主に重きを置きなさい
私の人生が神に委ねられているのであれば、すべてうまくいく。神の手の中は危険で、私の手の中は安全であるかのように、人生を取り返すことはさせないで。 ―エリザベス・エリオット、キリスト教作家
身を委ねなさい。
この言葉にはネガティブな響きがあります。身を委ねることは、力に圧倒されたときに起こるものですが、英語のsurrender(身を委ねる、降伏する)には“完全にあきらめること、または他者のために先立つこと” といった意味もあります。
主に身を委ねるとき、私たちは 主の御旨のために先立つ 力を得て、主の壮大なご計画の一部となることを選べるのです。エレミヤ書29章11節にあるように、主のご計画は「災を与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするもの」なのです。
しかし、主に従おうとしているのに、私たちはしばしば自分の計画にしがみついてしまいます。 神の無限で間違いのない戦略よりも、自らの狭い視野と知恵のほうが優れていると信じているから、身を委ねたくないのです。主に完全に身を委ねるということは一つの質問に集約されます。
どの程度私を差し出せばよいのでしょうか?
その答えは簡単。 すべてです。
マルコによる福音書8章34-35節には、イエスの弟子となり従いたいと思う者は「自分を捨て、自分の十字架を負うて」いかなければならないとあります。ここにある 捨てる にあたるギリシア語 aparneomai は、 “自己を忘れ、自分の利益を見失う” という意味があります。この2節は 自己を捨て、自分自身のうちに死ぬ
という言葉に要約できるでしょう。主に身を委ねるということは、利己的な欲望を捨て、主が私たちを通じて生きてくださるようにすることです。たとえ意味がわからなくも、主の完璧なご計画を信じるということです。どんな刹那的な喜びよりも、永遠の喜びのほうが差し迫っていると信じることです。
それでも、まだ疑問が残ります。 主に従うことで人生は何が満たされるのか? その答えは同じ。 すべてです。
神から与えられるすべての霊的祝福は、私たちが地上で人間的な計画を達成することをやめたときに得られるものなのです。たしかに、相変わらずトラブルは訪れるし、重荷は肩にのしかかるし、苦難は目の前に立ちはだかるでしょう。しかし、そのすべてを乗り越えた先にあるのは・・・
完全なる主の平安
筆舌に尽くしがたき主の喜び
説明しようのない主の自由
とてつもない主の愛
寛大なる主の慈しみ
もったいないほどの主の恵み
うっとりするような主の存在
心強い主の知恵
すべては、自分の計画ではなく神のご計画を信頼すればこそ、得られるのです。
だから、主に従う方法を知りたければ、誰が私たちを導いているかを考えることです。導いているのは主なのか、私たちなのか。私たちが選ぶべきは主なのか、私たち自身なのか。それは理解するのは簡単だが、成し遂げるのは難しいものです。主に従うということは、自分のことよりも主に重きを置くということなのです。
振り返ってみましょう。
- あなたは自分の力で人生を切り拓いているのか、それともすべてにおいて神を探し求めているのか。一日を過ごしながら考えてみてみましょう。
この読書プランについて
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主に従うとはどういうことか、疑問に思っているのはあなただけではありません。私たちはこのことを難しく考えてしまいがちです。この短いプランでは、私たちがどのように従うよう主が求めておられるか、また、その力強い求めの裏にある主の御心について知ることができます。
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