選ばれし者ー福音を日々、心に留めるサンプル

Chosen: Remind Yourself Of The Gospel Everyday

7日中 5日

David Bentley Hartがblessedを『恵まれた』と訳した聖書箇所を読んで、聖書を落としそうになりました。blessed(恵まれた)の意味が我々の文化においてどのように失ったか、この有名な学者は、次のように語っています。「それは多かれ少なかれ、「lucky(幸運な)」あるいは「fortunate(幸運なさま)」にとって代わっている。」それよりも本当の意味は、我々の言葉では至福の状態、あるいは嫉妬される幸福の状態にずっと近いとHart 氏は主張します。

神は福音の中でわたしたちのために次のようにされました。わたしたちが喜びに満ちているところまで、わたしたちに想像できる限りのすべての永遠の祝福を与えてくださったのです。

わたしたちの日々の選択、日々の戦い、日々の試練は、この現実を記憶し、認識し、生きるかどうかです。

また、それは状況や周囲の環境に基づきません。本当にそうではないのです。ミーシャという若者が、私に忘れられない方法で教えてくれました。

ミーシャは戦争で荒廃した国の難民でした。彼の村と彼が記憶するすべては圧政軍によって破壊され、彼は荷運び人になることを余儀なくされ、雨のジャングルの中を兵士の補給品を運びながら兵士の持つ銃身を凝視しました。それはちょうど、イエスにローマ兵士が1.5kmの十字架の道行きと十字架を押しつけた日のようだったでしょう。

ある日、兵士が銃を突きつけてミーシャに地雷を撤去させました。鉱山が爆発し、ミーシャは一瞬のうちに両手と両目を失いました。兵士たちは彼が死んだと思ってそこに残しましたが、彼は死にませんでした。

数年前、誰かがミーシャに、苦しんでいる十字架の道行きの救世主イエス・キリストの話をしました。ミーシャは自分の痛みを知っている神と自分を重ねました。その時、彼の人生は華々しく変貌したのです。

ミーシャは福音にとても興奮し、イエスについて聞いたことのない人たちと一緒に福音を分かち合えるように、人々に自分を難民キャンプから難民キャンプへと導いてもらっています。

ミーシャの喜びは波及します。彼は、目が見え、両手があり、難民キャンプで貧困の中で生きている人よりもはるかに幸せなのです。彼の喜びは十字架に対する感謝から始まります。ミーシャは、まもなくキリストと永遠に一緒にいることを知っています。

ミーシャは、難民キャンプの真ん中で福音を説く手本となっています。「なぜなら、このしばらくの軽い患難は働いて、永遠の重い栄光を、あふれるばかりにわたしたちに得させるからである。」(2コリント 4:17)と伝えた使徒パウロの聖句を具体化しているからです。

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この読書プランについて

Chosen: Remind Yourself Of The Gospel Everyday

もしあなたが目を覚まして、毎日福音に心を留めたらどうなるでしょう。この7日間のデボーションは、福音に思いを巡らす良い助けです。福音は私たちを救うだけではなく、私たちの一生を支えてくれます。作家であり伝道者でもあるMatt Brown氏は、ご自身とRyan Skoog氏共著の30日間のデボーションの著作をもとに、この読書プランを立てました。

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この読書プランを提供して下さった、Think Eternityに感謝します。詳細については、こちらのウェブサイトをご参照ください。 https://www.thinke.org