イエスさまはどんな方?サンプル
![Who Is Jesus?](/_next/image?url=https%3A%2F%2Fimageproxy.youversionapi.com%2Fhttps%3A%2F%2Fs3.amazonaws.com%2Fyvplans%2F9242%2F1280x720.jpg&w=3840&q=75)
イエスさまは復活された主
お葬式に参列したことはありますか?いきなり気の滅入るよう質問をしてしまい失礼しました。しかし、お葬式は死や、さらには死後の命についてあらゆる壮大な疑問を投げかけます。
死は私たちの人生を終わらせる終止符のようなものでしょうか?あるいは、死は読点のようなもので、私たちが何かほかの存在に変わる通過点なのでしょうか?
死後の命、死の先にある希望を信じる理由が何かあるのでしょうか?
きょうの物語はローマ人がイエスを殺したすぐあとの家の中での場面です。弟子たちが集まって衝撃的な事態の展開に心底おびえているその時に突然、イエスさまは彼らの真ん中に現れました。
ところで、イエスさまが再び生きた姿を現されて弟子たちを驚かしたのは今回が初めてではありません。しかし、トマスはその出来事があったときに居合わせず、一部始終を疑ったままだったので、イエスさまは彼のために現れて言われました。
「『あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手をのばしてわたしのわきにさし入れてみなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい』。トマスはイエスに答えて言った、『わが主よ、わが神よ』。」(27~28節)
このトマスの話から「疑い深い人」を意味する言葉が生まれました。
神は本当にいるのかと疑うとき、イエスさまが本当に私たちを愛しているのか疑問に思うとき、トマスのようにすべての人に疑う瞬間があると思います。「すべてが本当に真実なの?」、「見てないものを信じることができる?」と問いかけていることに気が付くかもしれません。
さいわいにも神は私たちの疑いを恐れていませんし、実は神に疑いの声を上げることは信仰による行いです。実際に今日の聖書箇所からイエスさまは私たちの疑いのただなかに進んで近づいてくださり、多くの場合は疑いとの戦いを通して、さらに強く確信ある信仰を見いだします。
しかし、それはそれとして、うれしいことに神がイエスさまを死から復活させたと信じることができる、たくさんの明確な理由があります。いくつか挙げてみましょう。
- イエスさまが十字架にかかり死なれたあとの日曜日、イエスさまの墓が空になっていました。
- イエスさまは四十日間にわたって弟子たちに現れましたが、その中には疑い深いトマスや、もともとイエスの弟子でなかったヤコブやパウロのような疑う人たちもいました。
- このようにイエスさまが現れたことで、弟子たちの多くがイエスさまへの信仰のゆえに、進んで迫害を受け殉教するまでに劇的に人生が変えられました。人は真実だと信じている信念や宗教のために命をかけることがあっても、分別のある人は誤っていると知っていることのためには命をかけません!今日の物語にあるように、最初の弟子たちはイエスさまの復活が真実かどうか知っていました!
現在に至るまでキリスト教が広まり人々の人生が変えられ続けてきたこと、そして上記すべての事実を説明する最適な方法はイエス・キリストの復活です!
今回の5日間の読書プランはイエスさまのアイデンティティに着目しました。イエスさまのからだのよみがえりは最後のカギです。
神ご自身が奇跡を通してイエスさまのアイデンティティを裏付けています。
イエスさまは真に神の子であり救い主です!
復活の意味するところは、死は終わりではないということです。
死を超えた希望があります。
死は終わりではなく、イエスさまのいらっしゃるところへ続く通過地点です。
トマスの言葉「わが主よ、わが神よ」と同じく、イエスさまに応答するように私たちは招かれています。