より大胆に ― 不完全な人々の大胆な信仰を見つめてサンプル

Bolder: A Look at the Audacious Faith of Imperfect People

7日中 3日

第3日 ステパノ

ステパノは、キリスト教における最初の殉教者(その人の信仰ゆえに殺された人のこと)です。ステパノが殺されたのは、イスラエルの歴史を語る中で、宗教指導者たちに厳しい言葉を向けたためでした。神が繰り返しイスラエルを守り、救ったにも関わらず、イスラエルは何度も神を拒否したことを、厳しく非難したのです。しかし、元々は、このように激しい言葉を発する人ではありませんでした。はじめは食卓の務めをしていた人物です。使徒行伝6章をみると、使徒たちの間に起きた問題を解決しようとした様子が描かれています。使徒たちが抱えていた人数に対して、彼らにはあまりにも多くの仕事がありました。使徒たちのもとへ来たやもめの世話も大切ですが、神の言葉の宣教もしなければなりません。どちらもおろそかにはできません。そこで使徒たちは、他の信頼できる人々に助けを求めることにしました。

使徒たちが助け手を選んだ際に非常に高い基準を設けたのは、興味深い事実です。やもめたちの給仕に、そのような高い基準を設ける必要があったのでしょうか? 結局のところ、やもめたちが食事をできればよいのでは? そう考える人もいるでしょう。しかし使徒たちが求めたのは「評判のよい」「御霊(みたま)に満ちた」「知恵に満ちた」という特定の条件に当てはまる人物でした。給仕という仕事を任せるにあたり、なぜこのような資質が重要だったのでしょうか?

この役職に選ばれたのは、ステパノを含めた七名でした。その中でも、ステパノは特に「御霊に満ちた」人物と表現されています。また「信仰に満ちて」「奇跡としるしを行っていた」(6章8節)ともあります。このように恵みと力に満ちた人物であるステパノを、宗教指導者たちは脅威に感じたのです。宗教指導者たちは「ステパノは神とユダヤ教を冒とくしていた」という偽証まで準備し、その結果、ステパノは石で打たれ殺されました。

あなたは今、こう考えているかもしれません。「自分は人前でしゃべるのは得意ではないし、度胸もない。もし誰かに殺されそうになったら走って逃げるだろう。ステパノのように大胆な人間にはなれない。」ここで大切なのは、ステパノも元々はこのような大胆な人ではなかったということです。実際、ステパノが大胆な言動を取ったときには、必ず「聖霊に満たされて」「信仰に満ちて」という言葉が添えられています。聖霊が心に満ちていると、力が与えられるのです。そのことは聖書全体を通して描かれています。それは身体的な強さのこともありますが(士師記のサムソン)、大抵は、聖霊の力がなければ言ったり、したりできないようなことを実現する力です。つまり、正しいことを行う勇気がなかったとしても、聖霊がそれを与えてくださるのです。ステパノのように、クリスチャンであるがゆえに死に直面するかどうかは分かりません。ただ、あなたがイエスに従うことを選んだなら、迫害(実際には死刑)を受けても、イエスにつながり続けるという力をステパノに与えたのと同じ聖霊があなたの中にも住まわれていることを知っていてください。

ふりかえりと話し合いのための質問

1. 使徒行伝 6章3節で給仕役を選んだときの基準が、6章7節でみられる給仕役を設けたことによって得た成果について、どのように関係していると思いますか?

2. ステパノとイエスの間に、どのような類似点があると思いますか?

3. あなたはイエスに従うことを選び、イエスがあなたのために犠牲になったことを受け入れていますか? そうだとしたら、あなたの人生に聖霊が働いた経験がありますか? それはどのように働きましたか?

4. あなたが、3番に挙げた決心をしていないとしたら、その決心を妨げている疑問や事柄はどんなことですか?そうしたことに対する答えを、どのように探していきますか?

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この読書プランについて

Bolder: A Look at the Audacious Faith of Imperfect People

大胆であることは、大げさに振る舞ったり、世間の人々に知らしめたりすることではありません。それは、あなたの持てるものすべてをイエスに差し出し、その結果をイエスに信頼するという、シンプルな行為です。不完全な人々の、大胆な信仰を見つめる、7日間の冒険の旅に、あなたも一緒に出掛けましょう!

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この読書プランを提供してくださったブレア・ミニストリー(Berea )に感謝します。詳細は次のウェブ参照を参照してください。 http://berea.org