静まって ― 神との時間を持つためのシンプルな手引きサンプル
静まって ―世界へ―
年を取ると親に似てくると、よく言われます。
それと同じように、私たちが神と静かな時間、静かな場所で深める関係が、私たちの生き方に影響を与えるようになります。
つまり「あなたのエデンの園」で起こったことは、そこでとどまるべきではなく、私たちの生き方に現れるはずです。神と過ごす時間が増えれば増えるほど、私たちは神に似てくるでしょう。ある程度、神の姿が反映されるようになるでしょう。
静かな時間の中で私たちは神を呼吸し、その聖なる方とつながります。神の心が私たちの心に触れ、私たちは神の声を聞き分けられるようになります。静かな時間の中で神の御心(みこころ)に沿いますと、神は、私たち自身や私たちに直接関係のある人たち以外にも焦点を広げてくださいます。
息を吸ったら、吐き出さないといけません。自然な感覚で考えてみましょう。息を吸い続けるだけでなく、息を吐き出すことも大切です。私たちが健康であり、生きているのは、その両方を行っているときです。
ワールド・ビジョン(World Vision)の創設者であるボブ・ピアス(Bob Pierce)は、かつて「主よ、あなたの心を裂くもので、私の心を打ち砕いてください。」と言いました。静寂の中で神の心と本当につながるとき、神はご自身の世界のために私たちの心を砕いてくださいます。神が私たちの心に触れるとき、私たちが想像もしなかったような人々や状況に導いてくださいます。
マタイによる福音書 28章の中で、弟子たちに与えられた使命は「行って、さらに弟子をつくりなさい」というものでした。しかし、イエスが天に昇られた後、弟子たちが最初にしたことは人目につかない部屋に行って祈ることでした。そして神の霊が力強く臨んでから、弟子たちは人目につかない部屋、静かな場所から、群衆の中に飛び出して行き、そこでイエスの福音を延べ伝えたのです。
その日、教会が誕生したのです。
それは継続的なリズムとして続きました。一度だけ祈り聖霊に出会ったのではなく、何度も何度も起こったのです。これが宣教です。これは私たちが見つけた愛を分かち合う使命なのです。
静かな時間を過ごす中で得られるものはやがて自然にあふれ出し、さらにイエスの弟子を作りたいと思うようになるでしょう。私たちが経験するこの愛は、独り占めするにはあまりに大きいものではないでしょうか? 宣教は、楽しみでもあり、また気の遠くなるようなことでもあります。時には、ただ庭園にこもり、イエスの臨在を心地よく楽しみ、イエスの弟子となり、イエスから学んでいたい、と思うこともあるでしょう。
祈りは祈りです。宣教の燃料ではありません。宣教の戦略でもありません。けれども常に祈りから宣教は誕生するのです。
今日、あなたはどのようにしてキリストの愛を分かち合うことができますか?
あなたはどのようにして天の父を、周囲の人にあらわせることができるでしょうか?
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この読書プランについて
「静まりなさい。」このシンプルな言葉は、ある人にとってはゆっくりするきっかけとなるでしょう。またある人は静まることなどできないと感じたり、騒がしい現代社会において静まり続けることは難しすぎると思ったりするもしれません。ブライアン・ヒーズリー(Brian Heasley)は心を静めるためには動きをとめる必要はなく、忙しい生活の中にあっても、神と静かな時間を過ごすことができると教えています。
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