仕事のやりがい 見つけようサンプル
安息を見いだす
人は労働するように神に創造されました。クリスチャンにとって、労働せずに生きることは意味がないものですが、労働が生きる意味になってはなりません。
神が与えてくださった労働の中に充足感を見いだすには、ひと息つくことも必要です。
神に栄光を帰し、人々の益のために奉仕し、御国(みくに)を築くという目的を達成するためにはさまざまな手段がありますが、労働はそのなかでも主要なものです。神は創造の御業(みざわ)の7日目に、このことについて私たちに忘れないようにと伝えています。
神は6日間働かれ、それから休まれました。それは神が疲れたためではなく、「作業を終えられた」からです。神は、労働自体が目的ではないと教えてくださいます。これこそ神が安息日を制定した理由なのです。出エジプト記20章8節から11節で、神は十戒の中で安息日を守り聖なるものとしなければならないと再び述べています。
今日の文化では労働を最終目標であるとみなします。労働によって私たちはアイデンティティを得て、労働によって得たお金と成功を最大限にすることで人生は意味を成します。私たちの労働は延々と続き、そして自分が有能であることを証明しようとする思いにひっきりなしに追い立てられ、休息を見つける能力を破壊してしまいます。静かに座って息抜きができなくなるのです。このように追い立てられていると、労働の中に充足感を見いだすことも妨げられます。
この労働の目的のゆがみによって、私たちの労働に充足感と喜びを見いだす機会はそこなわれます。これはまた神を礼拝することの妨げ、注意をそらすことになります。神から離れたとき、すべての労働は自己中心的な野望へと転落してしまうのです。
私たちの多くを疲れ果てさせている非難の声を黙らせる唯一の方法は聖書に基づいた安息日を守ることです。
安息日を正しく守ることは労働と私たちの生活の両方について聖霊に基づいた理解を得させてくれます。安息日の目的はただ単により生産的になるための休息ではなく、また快楽を追求するためのものではありません。
むしろ、安息日の目的は以下にあげることがらを楽しむことなのです。
- 神
- 神の民と一緒に喜ぶべき礼拝
- 神の栄光に満ちた創造
- 家族と過ごす時間
- 命全般にかかわること
- 神の助けによりなしえた達成
- 福音にある自由、モノや人の期待に捕らわれることからの解放
安息日は労働から離れる時間です。へブル人への手紙には、神の安息にはいるように努力しようではないかとあります。私たちは他の6日間に行っている働きから離れる努力を払い、神がこの聖なる日の目的とした解放と平和を楽しむ必要があります。安息日を守ろうとするはっきりした意図がなくてはなりません。
7日間のうちの1日を安息日として守るために聖別することで私たちの労働に対する見方を変化させ、何が可能でなにが不可能かの見方を変えてくれます。
神が与える毎週1日の休みと、神が与えてくれる労働を愛すべきです。安息日を守って自分自身にも労働にも新たな力をいただきましょう。
更なる学び
なぜ安息日を正しく守ることが私たちの労働についての新しい理解を得させるのかこちらのブログから学びましょう。Feeling Exhausted All the Time? Here’s How the Sabbath Can Rejuvenate You.
この読書プランについて
神とは無縁のような労働において、どうしたら充足感を見いだせるのでしょうか?この問いに答えるには、そもそも聖書にはどのように書いてあるかを知ることから始まります。私たちの労働が、聖書にある神の驚くような計画にどのように当てはまるのかを理解することで充足感を見つける鍵を手に入れましょう。
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