贈り物サンプル
すべてを成し遂げられたイエス―私たちの救い主―を礼拝する
あなたがこれまでにもらった中で、一番の贈り物は何ですか?
大切な人から心のこもった贈り物をタイムリーにもらってびっくりしたことかもしれません。自分にはもったいないと思うほど高価なプレゼントだったかもしれません。欲しいと思っていたとは自分でも気が付いてもいなかった物だったかもしれません。
イエスはただ私たちのために大きな犠牲を払ってくださいました。私たちにはその犠牲に値することをしたり、努力して得たりすることが、まったくできないにもかかわらずです。私たちがまだ罪人であった時―自分の過ちを認めたり、イエスを愛したりできないとき―私たちのためにイエスが死んでくださったことによって、私たちは神との親しい交わりを持てるようになりました。
このこと一つだけでも、私たちは驚嘆の思い、心からの感謝の思いで満たされていいはずです――そして博士たちのように、私たちの心は礼拝へと向けられることでしょう。
博士たちがイエスを礼拝し、ささげた最後の贈り物、それは没薬でした。
没薬には異なる使い方がたくさんありますが、もっとも多いのは苦痛と死に関連する使い方でした。旧約聖書においては、神殿と祭司や指導者たちのために用意された聖なる注ぎ油として没薬が使われました。新約聖書においても、防腐処理のための油、十字架刑にされた人々の苦痛を和らげるための薬として没薬が使われました。
没薬もほかの贈り物と同じように、イエスに起きることをあらかじめ示していました。
- 油注がれた方。聖霊によって油注がれたイエスは、福音を宣べ伝え、私たちをいやし、とらわれから解放して自由を得させてくれました(ルカによる福音書 4:16-19)。
- 苦難のしもべ。十字架にかけられる苦痛を和らげる没薬をイエスはお飲みになりませんでした(マルコによる福音書15:23)。彼は私たちのすべての罪を負われ、私たちの病、悲しみをすべて担われました。そしてイエスが宣教された間、初めから終わりまでそのしもべの心を示されました。
- 完全ないけにえ。 イエスは完全ないけにえとなられました—私たちのためにご自分の命をささげられたのです。ご自分では決して犯すことがなかった罪のために苦しみを受け、罪の代価を支払われました。
イエスが地上の宣教活動で行われたこと、成し遂げられたこと、これらすべてのことについて考えつつ、あなた自身の心を礼拝に備えましょう。礼拝にはいろいろなやり方があります。イエスという方を賛美するために謝意を言い表すことかもしれません。キリストのために苦しむことかもしれません。キリストにならって恵みと愛をもって隣人に接することかもしれません。博士たちが私たちにお手本を示してくれたもの、それが礼拝であり、現代に生きる私たちにとっても今なおとても重要です。
クリスマス期間はとても忙しくなり、スケジュールを一つひとつこなすために動き回ることになります。博士たちのように、私たちに与えられた贈り物イエスを思い出し、あがめましょう。私たちが最高の贈り物を持っていること、実際にどなたのことをお祝いしているのかを思い出し、忙しさや気晴らしで忘れてしまわないようにしましょう。
祈りましょう。「主よ、感謝します、私のために苦しみを受けてくださったことを、私に与えられた最高の贈り物を―それはあなたの命でした。イエス様、あなたはなんと尊い贈り物となり、なんという犠牲を払ってくださったのでしょう。本当に、感謝してもしきれません。どうか、あなたの恵みと愛を今日も私に思い出させてください。そしてあなたと同じ献身としもべの心を持てますよう、私を助けてください。イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン」
実行しましょう。今日は誰かのために、いつもよりも多くの時間をかけ、もしくは多くの力を使って、恵みと愛と思いやりの手を差し伸べてみましょう。
この読書プランについて
クリスマスは一年で最もワクワクする時、なのに、せかせかと過ごしてしまうこともしばしばあります。今年は、神の不思議な驚くべきわざに満ちたクリスマスを取り戻してみたらどうでしょうか?この5日間の読書プランでは、クレイグ・グローシェル牧師(Pastor Craig Groeschel)の『The Gift(贈り物)』シリーズより、博士たちがイエスにささげた三つの贈り物を通して、今日生きる私たちが神の不思議な御業(みわざ)にふれ、礼拝をささげることを学んでいきます。
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