まことの礼拝サンプル
まことの礼拝
by
Rocky Fleming
二日目 沈黙
以前、ビジネスの世界に身を置いていた時、私はしばしば、済ませるべき別の仕事のようにさっさと祈って、次にその日にやるべきことに移っていました。フルタイムで伝道をしている現在においても、この傾向に私は、注意を払わなければなりません。なぜなら、私はいつも「主の業(わざ)」に忙しいということを言い訳にしているからです。私だけではないはずです。あなたは私の言っていることがお分かりになると思います。
「そんなことはない」と言うでしょうが、真実は実践の中にあるのであって、信念体系にはありません。私たちは祈りの力を信じることができますし、また、目を閉じて全能の神への長い祈りを唱えられるほど敬虔にもなれますが、しかし、本当に真(まこと) と畏敬を持って神と向き合う準備ができているでしょうか。気になってしまう人のことを忘れて、聖なる神の前に立つことのできるという、私たちに認められた特権を理解しているでしょうか。あなたは王の王に心を向けるとき、立ち止まって、日常の雑事のことを考えるでしょうか。沈黙がどれほど礼拝の備えになるかについて、実際に役に立ったいくつかのことを分かち合いたいと思います。
沈黙は、主の前に静まり、自分が近づいているのが誰かを思い出すことで、祈りを始める助けとなります。そうするのに沈黙は良い方法ですが、正直なところ私たちは、言葉では沈黙することができても、しないといけないことを頭の中で考え続けています。私の言う沈黙は、祈りの時私たちに日常の雑事を脇に置くことを許すものであり、それは神への敬愛です。それは神の尊厳を、そして神が誰であるかを認識することなのです。
私たちはよく、神が歴史や私たちの人生で成し遂げられたこと、あるいは為されていることを称賛します。しかし私たちは神が誰であるか知るための礼拝をしないままで、神を敬愛することを無視しています。言葉と思考の両方で主の前で静まるとき、まことの礼拝へと私たちを導くプロセスが始まります。
聖書日課の箇所を読んで、ダビデがこれを書いた時何を考えていたか思い巡らしてみてください。お気に入りのワーシップソングを聞くのもおすすめです。わたしのおすすめは「Let It Rain.」(Michael W Smith)です。YouTubeや音楽アプリで検索して聴いてみてください。神への畏敬の念を起こさせ、よりよく礼拝を始めることができるでしょう。礼拝に向けて心を整えましょう。
この読書プランについて
礼拝は、日曜日の朝や水曜日の夕方、あるいは他の信徒と集まったときに行われるだけの儀式ではありません。神は私たちを礼拝の生活に招いておられます。本当に神を礼拝することが何を意味するのか、どうやって礼拝を行うのかを発見するために、読書プランを始めてみてください。この読書プランが終わる頃にはあなたは神を賛美しているでしょう。
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