ひと足ひと足 主にサンプル
魂のみわざ
説明のつかないことが起きると、それを私たちは「奇跡」と呼びます。この定義では、マジシャンのすることの多くが奇跡となりますが、そうでないことは分かりますよね。聖書の奇跡とは、理解できないことではなく、自分ではできないことが実現されることです。奇跡は機能的で、自分ではできないことを自身、あるいは人を介して、神がしてくださることです。
理解できることならそれは奇跡と呼ばない、ということではないのです。私たちの理解を超えたものという意味ではなく、むしろ私たちの能力を超えたものを意味します。ですから、朝、外を歩いていて、太陽が地平線から昇るのを見たら「あれは奇跡だ」と言えます。それは聖書的にも正しいです。毎朝が奇跡なのですから。
では、どうすれば日々、奇跡を見られるようになるのでしょうか。世の中の雑音を聞き流し、いと高きところにいる神の栄光を歌う天使のシンフォニーを聴くには、どのようにすればよいでしょうか。
あなたの用心深さ、あなたの好奇心、そしてあなたの知性をもって注意して見てください。聞くということは単に生物的な音の機能ではなく——魂の霊的な能力でもあるのです。
飼い葉桶の中の赤ん坊に失望することはありません。小さくても預言者モーセの家系で、今もあなたに話しかけています。あなたの人生を決定づけ、新しい生き方へと導き、永遠の意味をもつ答えを引き出せる何かを。あなたが神に愛され、受け入れられていること、そしてあなたの人生が永遠の意味と運命をもつことを。
それなら以前にも同じことを聞いたとお考えですか?いいえ、これは驚くべきもので、元気にしてくれる、美しく新しい言葉です。この言葉を聞けば、もう何も、古いものは聞こえなくなってしまうでしょう。すべてが新しくなるのです。それこそ、聞くたびに新たに聞こえ続けるものです。
今日、あなたの人生における、神の臨在の奇跡に、あなたの気持ちと思いを合わせるためにできることは何ですか?
この読書プランについて
聖霊がどのような励ましや、挑戦や、慰めを与えてくださるのか見当もつかないですが、ユージン・ピーターソンの五つのデボーションがどこへ行こうとあなたの心と思いを動かしますように。各デボーションの終わりにある問いかけを思い巡らして、その日の祈りをしてみてはどうでしょうか——ひと足、ひと足、主に至るための始まりとして。
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