神の御言葉(みことば)から時間管理の原則を学ぶサンプル
ただ断ればよい
マルコによる福音書でイエスの宣教活動に関する記述に会堂にいた男から悪霊を追い出したり、ペトロの義母をカペナウムの家で癒したりと救い主キリストの数多くの癒しの業が描かれています。「夕暮になり日が沈むと、人々は病人や悪霊につかれた者をみな、イエスのところに連れてきた。 こうして、町中の者が戸口に集まった。」(マルコ1:32-33)そしてイエスは多くの人々を癒しました。
予想通り翌朝、弟子たちはイエスのもとに駆け付けて来て言いました。「みんなが、あなたを捜しています」。(マルコ1:37)明らかに町の人々はイエスの奇跡的な癒しの力についての噂を聞きつけ、二日目ももう一度やって見せてほしいと望んでいました。ところがイエスは断りました。弟子たちが衝撃を受けたことにイエスは言いました。「ほかの、附近の町々にみんなで行って、そこでも教を宣べ伝えよう。わたしはこのために出てきたのだから」(マルコ1:38)
福音書の中でイエスが断る行動をとったのはこれが初めてであり、しかし確実に最後ではありません。なぜイエスは断ったのでしょうか?明らかにイエスはもっと多くの人を癒す力を持っていました。またイエスはこれらの人々の生活の苦しみを和らげたいという願望を持っていました。しかしイエスはより多くの人々を癒したいと願っていた一方でこの世での目的を果たすために限られた時間しかないことを知っていたのです。イエスは、ただ癒しによってキリストの真の姿を明らかにするためだけに地上に来たのではありませんでした。イエスは十字架の上で現す情熱に備えて福音を宣べ伝えるためにやって来たのです。イエスの目的について一点の曇りもなく、そのため地上においての重要な行いに集中するため善い行いも断ったのです。
イエスが全てのことを引き受けることができなかったのなら私たちにもできません。私もあなたも時間と資源には限りがあります。私たちに残された時間を最大限に活かすために神が私たちに召したと信じていることは何かを非常に明確にすることが不可欠です。そしてたとえそれが良い機会であっても私たちの重要な役目から気を逸らせることに対しては断ってもよい事に慣れてください。
覚えておいてください。あなたの人生には目的があります!この6日間で探求してきた聖書箇所によってこの世に残された時間をどのようにして過ごすのか、つまり神を愛するため人を愛するため、そして私たちの人生と働きを通してイエスキリストの弟子をつくるために時間を有効に使えるよう私は祈っています。
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