主のみこころにかなう人サンプル

After God's Own Heart

5日中 1日

主のみこころにかなう人

子どもの頃、親に連れられてスーパーマーケットに行ったとき、親が果物をひとつずつ手に持ってみて、一番良いのはどれか選ぼうとしているところを見ませんでしたか。私は、父がスイカを持ち上げて、トントンとたたいて中身を確認しようとしていたのを覚えています。ポーン、という鈍くて完璧な音がひびくと「これはよいスイカだ!」と父は言っていました。やがて大人になり一人で買い物をするようになると、私は同じようにスイカを軽く、たたいてみるようになりました。けれどもこうして外見を観察することで、スイカの中身がどのような質なのか、完全には分からないことを実感しました。同じように、周りの人も、見た目だけでは、本質は少ししか分かりません。内面の深い真実を明らかにしているのは、心なのです。

神は、私たちの心の奥底にあるものをご存じで、よく理解しておられます。これはダビデの人生を通してはっきりと示されており、ダビデは「主のみこころにかなう人」でした。現代の文化では、どこに住んでいるか、どのような見た目をしているか、何を提供できるかによってしばしば私たちの価値は計られます。ときどき、ほかの人を深く知るための段階を踏むよりも、見た目だけで判断してしまうことの方が簡単に思えるでしょう。サムエル記上16章では、ダビデの父エッサイが、将来のイスラエルの王として油そそぎをされるために、強く成長した息子たちを全員、サムエルの前に連れてきます。主の祭司であるサムエルでさえも、神は強く、姿の美しいの男性を王として迎えたいだろうと考え、はじめは見た目によって判断しました。しかし、主はサムエルを正され、見た目ではなく心に基づいて決めることを思い出させました。将来の王として、主はダビデを選ばれたのです。

主は息子と娘を、外見や、強さや、フォロワーの数や、収入に基づいては、選ばれないことを、私たちに思い出させます。主は私たちを愛し、みこころを分かってほしいと願われるが故に、私たちを選ばれたのです。主の愛は、私たちに救いをもたらします。その救いは、自分の力で勝ち取るものではなく、イエスの血によって代価を支払われ、無償で与えられたものです。しかし、私たちは、人生の生き方を通して、主の愛や、この世からの愛を自分の力で勝ち取ろうとします。私たちの心、時間、エネルギーは、私たちが何を本当に愛し、求めているかをあらわしているのです。

ですから、ダビデの物語を読み、キリストがどのように私たちを愛してくださっているか学ぶこのとき、キリストの愛を隣人へ示す生き方を知りましょう。それは見た目で決まるのではなく、人が主の似姿に造られているからです。

問いかけてみようどんなときも、神に愛されていると感じていますか。主のみこころにかなう心へと形作られていくために、どんな段階を踏んでいけるでしょうか。

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この読書プランについて

After God's Own Heart

ダビデ王の姿は、新約聖書の中では「主のみこころにかなう人」として描かれており、神のみこころとダビデの心が指し示す方向が揃っていたことを示しています。このシリーズでは、ダビデの人生を深く学び、サムエル記上・下の中でダビデが何をしたのか詳しく見ていくことを目指します。

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このプランを提供してくださった、Grace Bible Churchに感謝します。将来はこちらのウェブサイトをご参照ください。https://www.grace-bible.org/college