神様、ワタシのことは…?サンプル

God, What About Me?

5日中 4日

私の祈りはきかれているの?

今まで何かに出会ったときに、「こんなもののために私は断食したんじゃない!」と応答したことがあるだろうか?断食し、祈り、叫び求めたが、結局、祈っていたこととは正反対の結果になってしまった。このような体験をすると、祈るのをやめて他のものに頼るべきかという疑問がわいてきたり、信仰を高めることのない「無難な」祈りしか祈れなくなったりする。

真理はこうだ。私たちが無難で簡単なことだけを祈り求め、主の評判を守ることを神は必要としておられない。考えると、不可能に思えることを成し遂げたり、神の栄光や力を真にこの世に知らしめしたりする、神の力を制限することになる。大きなことでも小さなことでも、自分の必要を神に祈るとき、どんなことも成し遂げられる、成し遂げようとしてくださる神であるという信仰に重きを置くことになる、ということを教えられた。同時にそれは、主に値する感謝をささげるための心構えをするということだ。また、最近神は筆者にも、祈るときに失望を恐れないよう気をつけなさい、と警告してくださった。この恐れは、私の祈りを妨げるものになるのだと。神は答えてくださる。たとえ私が望んだ方法で答えてくださらなかったとしても、御言葉にあるように、神は栄光をあらわされると知っているのだ。

私たちはいつも自分の感情に任せて祈るわけにはいかない。感情に任せれば、その状況の「背景」にいる誰かの破滅を祈ることになってしまう。しかし、自分たちの置かれている状況について、神に知恵を求めれば、それが敵の仕業であるのか、全知全能である父なる神の計らいなのかを、見分けることができる。

例えば、ゲツセマネの園でイエス・キリストが祈っていたとき、彼はパリサイ人や、裏切りの「背景」にいるように見えたユダに対して祈っていたわけではなかった。イエスは、苦しみの中にあっても、神のみこころに焦点を合わせて祈っていたのだ。

だから、私たちの持つ疑問はこうだ。私たちの祈りは、誰のみこころのためにきかれているのだろうか?

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この読書プランについて

God, What About Me?

人生で遅れをとっているような感じがしたり、日ごとに他人と自分を比較する声が大きく聞こえるようになったりすると、私たちはしばしば、神が自分の内で働いてくださっているのに気づかなくなる。このような時こそ、私たちの信仰が最も練られる時なのだ。この読書プランを読んで、神を待ち望み、励まされよう。

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この読書プランを提供してくださったデイビッドとエラ(David & Ella)に感謝します。詳細につきましては以下のサイトをご参照ください。http://davidnella.com