かわいそうな私!サンプル
敵の姿を見極める
さて、ひどい状況に直面したとき、どうしたら自己憐憫を乗り越え、信仰へと歩み入れられるのでしょうか。最初の一歩は、敵の姿を見極めることです。
自己憐憫というものは、卑きょうなやり方でそっと近づくことがあります。「かわいそうな私」と思うまえに心に忍びこみ、居座るのです。次のような自己憐憫に心当たりはありませんか。
・誰も気にかけてくれないし、誰もわかってくれない。
・うまくいかない。(こうも言えます。「どうして、みんなうまくいくのに、私だけうまくいかないの。」)
・どうして誰も助けてくれないの?
・どうして神様は私にばかり冷たいの?
・つらすぎる!(こうも言えます。「私ほど苦労している人はいない」)
・自分ばっかりみんなのために頑張ってるけど、誰も私のために何もしてくれない。
・死んだ方がまし。
・何もかもダメ。
・やるべきことはやったのに、うまくいかなかった。
・もう生きていたくない。何もかも間違ってる。正しいことなんてひとつもない。
・もう疲れた。
・もうたくさんだ。
ちょっと読んでいてつらくなりますね。誰もがみんな、こんな風に考えたことがあるでしょう。私たちはみんなおんなじ人間なのです。しかし人生でこうした考えに打ち勝つ者たちは、いつまでもくよくよしません。そして打ち勝つためには、克服すべき考え方、敵の姿を見極めることが大切です。心の中に放置したら、固い要塞となってしまいます。
ありがたいことに神様はこの要塞を打ち破るための武器があると語られています。「神の知恵に逆らって立てられたあらゆる障害物を打ちこわし、すべての思いをとりこにしてキリストに服従させ、」(コリント人への第二の手紙 10:5)
この読書プランについて
いまなにか問題にぶつかっていますか?誰かに傷つけられたり、病気になったり、物足りなさを感じたり、または大きな挫折を味わったりしていませんか?そんなとき「かわいそうな私」と思うのは簡単なことです。しかし神さまはあなたのために解決策を用意されているのです。いまこそ自己憐憫(じこれんびん)の言葉を封印し、立ち上がり、神さまの約束を手にして、打ち勝つ者となる時です。
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