イエスのいやしサンプル

Healed by Jesus

6日中 6日

待つあいだに

これまで、イエスがこの地上にいるときに人びとをいやした、おどろくべき話を読んできました。あるときはイエスのことばが人びとをいやし、またあるときにはイエスがやさしくふれたことで完全ないやしをなされました。それぞれのいやしの中で、イエスが誰かの命のためになされたことによって、人びとがイエスを信じていく様子が読み取れます。ありがたいことに、イエスはこの地にいた三十三年のあいだだけいやしを行ったのではありません。私たちの理解を超えた方法でイエスは今もいやしておられるのです。

もしかしたら、あなたはイエスのいやしの御手が必要で「どうしてイエスは私をいやされないのでしょうか」と思っていませんか。聖書にある十二年のあいだ長血を患った女のように、私たちのいやし、言い換えると奇跡は、まだ「進行中」なのかもしれません。イエスという希望、イエスがなされるという希望を失わないでいましょう。自分に起こる奇跡的ないやしを待つあいだに、誰かほかの人がいやされたならそれを喜ぶ選択をしましょう。イエスが自分をいやされないからといって、イエスがそうなさらないわけではありません。イエスが沈黙しているように見えるからといって、本当に沈黙されているとは限らないのです。

「どうしてイエスは私をいやさないの?」という問いに対する厳しい答えはこうです。「イエスはいやさないかもしれません」。数えきれないほどの人びとが一生をある種の病で苦しんできました。また多くの人びとが、自分はいやされるという強い信仰を持っていたにもかかわらず、亡くなられました。私たちのいやしの考え方は、神のそれとは同じではないかもしれないと理解しなければなりません。自分がいやされるかどうかを最終的に決めるのは自分ではありません。私たちは自分のできることしかできません。イエスはご自分の役割を果たします。信じるのです。「イエスがいやされる」。

この読書プランを終えるまえに、最後にひとつ考えてみませんか。なぜイエスは、人びとをいやすのでしょうか?それは、人びとが信じるようになるからです(ヨハネによる福音書 4:53)。イエスが人びとを肉体的にも精神的にも、あるいは感情的にも完全になるのを望まれていなかった、ということではありません。明らかにイエスは多くの人びとを思いやり、そしていやそうとされました。でもイエスのこの地における使命は天におられる御父の栄光をあらわし、世の罪のために犠牲となることでした。

私たちのもがいてる様子や苦しみをとおして、ほかの人びとがイエスの美しい姿を見ることがよくあります。どうやってイエスのために生きるのか、たとえ人生の嵐のただ中にあっても、待ちつづけているあいだでも、まだイエスを知らない人に福音を伝え励ませるかもれません。

大きな奇跡であれ、小さな奇跡であれ、すべて私たちの身近にあります。よく特別大きな奇跡を望みますが、途中にある小さな奇跡を見逃しています。まだ起こっていないことばかり考えていると、私たちの身近で、私たちの内で、そして私たちをとおして、神がなさることを見逃してしまうでしょう。

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この読書プランについて

Healed by Jesus

みんな何らかのいやしを人生において必要としています。身体的な病気、精神的なトラウマ、心理的な苦しみ、あるいは霊的な重荷をかかえて、何年も祈りつづけたのちも、闘いつづけているのです。この読書プランでは、イエスが人びとをいやされた様々な方法を学びながら、希望と励ましを見いだしましょう。

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YouVersionによって作成、提供されたオリジナルの聖書を読むための読書プランです。