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思考という名の戦場サンプル

思考という名の戦場

14日中 9日

ポジティブな信仰


“神はアブラハムに、「あなたに一人の男の子を授けよう。その子から多くの子孫が生まれ、偉大な民族となる」(創世15・5)と言われました。この時アブラハムは、そんな約束はとうてい実現するとは思えなかったにもかかわらず、神を信じました。 彼はその信仰によって、百歳の自分がもう父親になれる年ではないとも、また九十歳の妻サラが子どもを産めないとも思いませんでした。 アブラハムは少しも疑うことなく信じ、そのことがまだ実現しないうちから、その祝福のゆえに神を賛美しました。 21彼は、神の約束はどんなことでも実現すると堅く信じました。” 


- ローマ4:18-21 JCB


アブラハムの話は、何度読んでも驚かされます。彼が高齢で子どもを授かったからだけではありません。それはまさに奇跡でしたが、アブラハムは約束の実現を見るまでに25年間も待ったのです。神様がアブラハムに子どもを約束したのは、アブラハムが75歳の時でした。


25年間も神様の約束を信じながら期待し続けられる人は、どれほどいるでしょうか。きっとほとんどの人がこう言うでしょう。「あれは神様の約束ではなかったんだ」「きっと神様は計画を変更したんだ」「どこかへ行って、新しいことばを神様からもらう必要があるんだ」


サラとアブラハムにも、神様の約束を握り締める時に問題がありました。願いを手に入れたいという思いから、サラは奴隷のハガルに男の子を産ませました。しかし、神様はそのように子どもを授けるのではないことをアブラハムに伝えました。彼らの行動が、神様の約束の実現を遅らせたとも言えると思います。


私たちは忍耐できないと、自分でどうにかしようとすることがよくあります。”名案”を思いつくのです。そして、その計画を神様に祝福してもらいたいと願います。しかし、その計画が私たちにもたらすものは混乱だけです。そしてその混乱を解決しているうちに、それが神様の奇跡の実現を遅らせてしまうのです。


モーセが神様から十戒を受け取り、シナイ山から降りてきた時、彼のことを最後まで待つことができなかったイスラエル人たちの悪い行動をモーセは目撃しました。そこで怒ったモーセは、神様が自らの手で十戒を記した石板を割ってしまいました。モーセの怒りを理解することはできますが、彼らの行動は神様が始めたことではありませんでした。そのため、モーセはもう一度シナイ山を上り、同じプロセスを経て十戒を手に入れる必要がありました。もう一度チャンスがあることにモーセは安堵の息をついたかもしれませんが、彼は余計な仕事をしなくてはなりませんでした。


これは私たち全員にとっての良いレッスンです。私たちは最初に計画を立てて、それが上手くいくように祈るのではなく、まず最初に祈り、神様の計画に同意するべきです。


しかし何年も時を重ねると、神様の約束を握り締め続けることが難しくなります。


時々、私が集会を終えると、多くの人が彼らの悲しい出来事について話しに来ることがあります。そんな彼らに「ポジティブになって、期待するように」と私は励まします。しかし時には、私の話を聞いてうなずき、笑顔にはなるのに、最後に「でも…」と言う人がいます。その一言で、私の言ったことを否定してしまうのです。それはアブラハムの持っていた霊ではありません。


聖書は私たちに約束と希望、そして励ましを与えてくれます。神様に仕える人々に、神様は「良い約束」を必ず用意しています。大変な苦境に立たされている人たちもいますが、どんな逆境でも関係なく、神様は私たちに「良い約束」を約束し続けてくれているのです。「良い」と言っても、私たちと神様の定義が同じだとは限りません。私たちが欲しいものをすぐに手に入ることがベストではない時もあるのです。時には忍耐をして待つことが、私たちの内側にある神様の性質をさらに成長させるためにベストな場合もあるのです。


神様は私たちに良いことをし、私たちを喜ばせたいと思っています。逆に悪魔は私たちに悪いことをし、私たちを惨めにしたいと思っています。私たちは忍耐を持って、神様の約束を信じることもできれば、悪魔のささやく声に耳を傾けて、間違った方向に行くこともできてしまいます。


あまりにも多くの人が、「神様は奇跡の創始者である」という真理を無視してしまっています。神様は「不可能を可能にする」ことのエキスパートです。神様はすでに妊娠することのできなかったサラのお腹に、子どもを授けました。イスラエル人たちが自らの足で前進できるように、紅海を真っ二つに分けました。巨人ゴリアテのことも、たった一つの石だけで打ち倒しました。これらは奇跡です。それが自然の法則を破る「聖霊の働き」です。(神様は法則を作ったのですから、それを破ることもできるのです。)


ヘブル11章は信仰について書かれた聖書箇所であり、神様の約束を最後まで信じ続けた神様の人々について書かれた聖書箇所でもあります。「信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神のもとに来ようとする人はだれでも、神の存在と、熱心に神を〔追い〕求めれば神は必ず報いてくださることを、〔必ず〕信じなければなりません。」(ヘブル11:6 JCBに一部強調)


この聖書箇所について考えてみたのですが、悪魔がどのように首を突っ込んでくるのかが分かります。悪魔は私たちにこう言ってくるのです。「この聖書箇所は間違いないけれど、彼らは特別な人。お前は何者でもないよ。お前になんか、神様は特別なことをするわけがない。」


これこそ、まさに悪魔のウソです。しかし多くの人が、この悪魔のウソをあっさりと受け入れてしまっています。神様は私たち一人一人を愛していて、聖書は神様のことを「私たちのお父さん」と言っています。良いお父さんなら、誰でも自分の子どもには良いことをしてあげたいと思うものです。神様はあなたにも私にも、良いことをしたいと思ってくれているのです。


ですから、奇跡を期待していきましょう。たくさんの奇跡を期待してください。


神様の約束に対してポジティブな信仰を持つ結果は、必ず良いものです。「良い神様」が結果を与えてくれるからです。諦めることを拒めば、あなたは必ずポジティブな信仰を持った先の結果を見ることができます。


祈り


天のお父さん。私の信仰が欠けていたことを赦してください。悪魔の欺きや「あなたの奇跡に私は値しない」という悪魔のウソを信じていたことを赦してください。あなたが私を造ってくれたからこそ、私には価値があります。自分の力では不可能な分野においても、あなたは「神様」です。あなたを待ち望み、諦めることがないように、私を助けてください。イエスの名によって、アーメン。

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この読書プランについて

思考という名の戦場

このデボーションは、怒りや混乱、非難、恐れ、疑いなど、どんなものも乗り越えることができる希望をあなたに備えてくれます。これらの知恵を理解することで、あなたは悪魔のウソを見破り、あなたを混乱に陥れようとする悪魔の策略を暴けるようになります。またネガティブな思考に立ち向かえるようになり、思考を変えていく中で勝利を見つけられるようになります。強められ、勇気付けられ、そして何よりも重要な「思考という名の戦場における勝利」をあなたは手にすることが...

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この計画を提供してくれたJoyce Meyer Ministriesに感謝します。 詳細については、以下をご覧ください。https://tv.joycemeyer.org/japanese/

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