夢は贖われ、取り戻されるサンプル
先延ばしされた夢
私は自分が21歳の誕生日を迎えられるとは思わなかった。性的虐待やレイプ、混沌とした環境の中で長いこと暮らして、母は13歳の私をギャングが横行する土地に置き去りにした。8歳年上の兄とともに三か月の間、自力で生きつないだ。その夏、食料をくれ、守ってくれた年上の少年と私は関係を持つようになった。その関係は虐待と搾取になり、しまいに私はストリッパーとして性産業の世界で働くようになってしまった。要するにボーイフレンドは私のヒモになり、私の人生は手に負えなくなったのだ。
イエスを迎えて。
イエスに恵みといやし、そして自由への道を見つけた。そして、もう一度、夢を見た。白い柵(さく)に囲まれた緑の芝生におもちゃがあちこちに転がる家の夢。全員の名字が同じ、完璧な家族を夢見ていた。夢は安全と安定を象徴していたが、子供時代に経験したことがないものだった。
日曜日に教会へ行き、きちんとした本を読み、正しいことをすれば、私の夢はすべて実現し、イエスによって人生の厄介ごとから免れられるはずだと、信仰を勘違いしたのだ。
数年の間、すべてが私の計画通りに進んだ。私は結婚して、かわいい赤ちゃんを授かり、庭のある家を手に入れた。人生がとてもすばらしく、自分自身が信じられないくらいだった!
しかし、夫が浮気をし、結婚生活を立て直そうと戦う気がないことが最後に分かったとき、私は人生のすべての希望が打ち砕かれたように感じた。私の夢見ていた人生は、完全に崩れ去ったのだ。
「ハーレム」という詩の中で、ラングストン・ヒューズは疑問を投げかける。「先延ばしされた夢はどうなるだろう?」
すっかり乾いてしまうのだろうか
太陽の下の干しぶどうのように?
それとも傷のように痛み
やがて膿(うみ)となってしまうのだろうか?
夢が先延ばしにされたり、手の届かないところに置かれたり、あるいは打ち砕かれてしまったとき、それがどうなるかはその夢を見た人次第だ。どんな反応をするかで、自分の人生に託された神の夢に近づいているのか、それとも遠ざかるかが決まる。
夫の告白によって、私は決断を迫られることになった……
「私は望みをどこに置く?夢に託すか、それとも神に託すのか?」
聖書の語るとおり、望みを捨てると心が病むが、キリストにある望みはたましいを安全にし不動にする錨となる。自分の置かれている状況を自分の思うように変えることはできなかったが、どう対応するかは自分で決められる。
さあ、次の問いについて考えてみて。今日、あなたの望みはどこにあるのだろう?自分自身だろうか?それとも、望みを与えくださる方だろうか?
この読書プランについて
夢が、手に届かなかったり、打ち砕かれたりしたら、どうしたらいいのだろう?虐待やトラウマを克服し、離婚による心の傷を乗り越える中で、繰り返しこの疑問に直面してきた。悲しみや喪失による打撃や、いつまで待ってもかなわない不満のただなかにあっても、あなたの人生における神の夢はまだ生きている!友よ、さあ、もう一度夢を見る時が来た。
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