平和ということサンプル

Finding Peace

17日中 1日

すべての平和の土台となるもの

少し前のこと、講演会の開始前にスタッフと私は西海岸で食事を楽しんでいました。その席で、私たちのテーブルを担当してくれた若いウェイトレスに、私は「神にどんなことでも願えるとしたら、あなたなら何を願いますか」と尋ねてみました。

彼女はためらうことなく、「私は平和を願います」と答えました。

彼女は数日前に亡くなった最愛の祖母のことを語り、涙で頬をぬらしました。

その話から、私は彼女の家族の誰も、そして彼女自身も、神を信じていないことを知りました。彼女は意識的に神を拒んでいたわけではありません。ただ、心の内に深い不安があることはわかっていたけれども、その不安をどうしたら解決できるのか、またその根本に何があるのかを理解していませんでした。多くの人のように、彼女もまた人生に大した目的も意味もなく、その日その日を送っていました。

この若い女性は今日の社会に生きる多くの人々を代弁しています。毎日が同じことの繰り返しで、なんとか生活をやりくりし、ギリギリのところで模索し、そしてそんなことの中からなんとか生きる意味をつかもうとしているのです。

人間の苦悩に対する答え、特に、なぜこれほど虚しく、無力で、平和がないと感じるのかという疑問に対する十分な答えがないように思えることが、多すぎます。さらに、私たちが最善をつくして努力し続けても、人生の苦しみに悩まされ続けるのはなぜかという問いに、満足のいく説明はないように思えます。

私たちのテーブルを担当してくれた若いウェイトレスは、「私は平和を必要としています」という言い方で、この問題を彼女なりに表現しました。「私はとても寂しい」と言う人もいるでしょう。「もし夫が(妻が)私を愛してくれさえしたら、幸せになれるのに」と言う人もいます。表現は違っても、言いたいことは同じです。「何かがおかしい……幸せじゃない。心に平和がない。どうしてなんだろう」

一般的な社会通念に縛られている人はたいてい、この空虚さを経験し、自分たちの問題を神と結びつけて考えはしません。私たちは、「もっと痩せて、おしゃれに着飾って、高級車を乗り回して、高級住宅街に住んで、もっとお金を稼いで......」という、延々と続く社会のプレッシャーに絶えずさらされています。けれども、今挙げたような社会的に称賛される方法も、他人が提案してくれる数々の答えも、どれ一つ、私たちの抱える問題に対して、切実に願うものを恒久的に満足させてはくれません。

若いウェイトレスの言ったことは的を射ています。私たちのほとんどは、もっと何かが必要だと強く感じています。その何かをピッタリと表現する言葉が、「平和」です。

そして、私が牧師として六十年以上やってきて確かに言えることは、神との平和を得るまでは、あなたの人生に真の(まことの)平和はない、ということです。

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この読書プランについて

Finding Peace

もっと平和な人生を歩みたいですか?もっともっと穏やかに生きたいですか?平和の源は神であり、神を通してのみ、私たちはまことの平和を手に入れることができます。人生を変えるような心の平和への道を教えてくれる、チャールズ・スタンリー博士のこの読書プランを始めましょう。過去の後悔を解決し、現在の不安に向き合い、将来への心配を和らげるための道が示されるでしょう。

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この読書プランを提供してくださったIn Touch Ministriesに感謝します。詳細は、こちらをご覧ください。 https://intouch.cc/peace-yv