伝道の書 4:1-14
伝道の書 4:1-14 Colloquial Japanese (1955) (JA1955)
わたしはまた、日の下に行われるすべてのしえたげを見た。見よ、しえたげられる者の涙を。彼らを慰める者はない。しえたげる者の手には権力がある。しかし彼らを慰める者はいない。 それで、わたしはなお生きている生存者よりも、すでに死んだ死者を、さいわいな者と思った。 しかし、この両者よりもさいわいなのは、まだ生れない者で、日の下に行われる悪しきわざを見ない者である。 また、わたしはすべての労苦と、すべての巧みなわざを見たが、これは人が互にねたみあってなすものである。これもまた空であって、風を捕えるようである。 愚かなる者は手をつかねて、自分の肉を食う。 片手に物を満たして平穏であるのは、両手に物を満たして労苦し、風を捕えるのにまさる。 わたしはまた、日の下に空なる事のあるのを見た。 ここに人がある。ひとりであって、仲間もなく、子もなく、兄弟もない。それでも彼の労苦は窮まりなく、その目は富に飽くことがない。また彼は言わない、「わたしはだれのために労するのか、どうして自分を楽しませないのか」と。これもまた空であって、苦しいわざである。 ふたりはひとりにまさる。彼らはその労苦によって良い報いを得るからである。 すなわち彼らが倒れる時には、そのひとりがその友を助け起す。しかしひとりであって、その倒れる時、これを助け起す者のない者はわざわいである。 またふたりが一緒に寝れば暖かである。ひとりだけで、どうして暖かになり得ようか。 人がもし、そのひとりを攻め撃ったなら、ふたりで、それに当るであろう。三つよりの綱はたやすくは切れない。 貧しくて賢いわらべは、老いて愚かで、もはや、いさめをいれることを知らない王にまさる。 たとい、その王が獄屋から出て、王位についた者であっても、また自分の国に貧しく生れて王位についた者であっても、そうである。
伝道の書 4:1-14 リビングバイブル (JCB)
次に私は、世界中で行われているしいたげと悲しみを見ました。しいたげられている人が涙を流しても、だれも手を貸そうとしません。一方で、しいたげる者たちはしっかりと手を組んでいます。 私は、死んだ人のほうが生きている人よりましだと思いました。 一番幸福なのは、生まれて来なかった人で、地上の悪を見たことのない人です。 次に私は、物事を成功させる原動力がねたみであることを知りました。これもまたむなしいことで、風を追いかけるようなものです。 愚か者は、いっこうに働こうとせず、 餓死寸前のところをさまよう。 しかし結局は、 むなしいの一語に尽きるような労働を続けるより、 のんびりその日暮らしをするほうがましだ。 愚かしく思えることが、もう一つあります。 息子も兄弟もいない一人暮らしの人が、さらに金持ちになろうと目の色を変えている場合です。この人は、だれに全財産を残そうというのでしょう。全く割の合わない、憂うつな話です。 二人が手を組めば、一人の人の倍以上のことができます。結果から見れば、二人のほうがずっといいのです。 二人なら片方が倒れても、もう一方が起こせます。ところが、一人のときに倒れてしまうと、だれにも起こしてもらえず、何とも惨めです。 また、寒い夜、二人が一枚の毛布でもかぶって寝れば、お互いの体温で暖かくなります。しかし一人では、どうにも暖まることができません。 一人では、攻撃を受けると負けてしまいます。しかし二人なら、背中合わせになって戦うことができ、相手に勝つことができます。三人なら、なおいいのです。三つ撚りの糸は、めったなことでは切れないからです。 貧しくても賢い若者は、どんな忠告も受けつけない、年取った愚かな王よりましです。 そのような若者は、牢獄から出て立身出世することでしょう。それどころか、生まれが卑しくても、王にさえなれるかもしれません。
伝道の書 4:1-14 Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳 (新共同訳)
わたしは改めて、太陽の下に行われる虐げのすべてを見た。 見よ、虐げられる人の涙を。 彼らを慰める者はない。 見よ、虐げる者の手にある力を。 彼らを慰める者はない。 既に死んだ人を、幸いだと言おう。更に生きて行かなければならない人よりは幸いだ。 いや、その両者よりも幸福なのは、生まれて来なかった者だ。太陽の下に起こる悪い業を見ていないのだから。 人間が才知を尽くして労苦するのは、仲間に対して競争心を燃やしているからだということも分かった。これまた空しく、風を追うようなことだ。 愚か者は手をつかねてその身を食いつぶす。 片手を満たして、憩いを得るのは 両手を満たして、なお労苦するよりも良い。 それは風を追うようなことだ。 わたしは改めて 太陽の下に空しいことがあるのを見た。 ひとりの男があった。友も息子も兄弟もない。 際限もなく労苦し、彼の目は富に飽くことがない。 「自分の魂に快いものを欠いてまで 誰のために労苦するのか」と思いもしない。 これまた空しく、不幸なことだ。 ひとりよりもふたりが良い。 共に労苦すれば、その報いは良い。 倒れれば、ひとりがその友を助け起こす。 倒れても起こしてくれる友のない人は不幸だ。 更に、ふたりで寝れば暖かいが ひとりでどうして暖まれようか。 ひとりが攻められれば、ふたりでこれに対する。 三つよりの糸は切れにくい。 貧しくても利口な少年の方が 老いて愚かになり 忠告を入れなくなった王よりも良い。 捕われの身分に生まれても王となる者があり 王家に生まれながら、卑しくなる者がある。
伝道の書 4:1-14 Japanese: 聖書 口語訳 (口語訳)
わたしはまた、日の下に行われるすべてのしえたげを見た。見よ、しえたげられる者の涙を。彼らを慰める者はない。しえたげる者の手には権力がある。しかし彼らを慰める者はいない。 それで、わたしはなお生きている生存者よりも、すでに死んだ死者を、さいわいな者と思った。 しかし、この両者よりもさいわいなのは、まだ生れない者で、日の下に行われる悪しきわざを見ない者である。 また、わたしはすべての労苦と、すべての巧みなわざを見たが、これは人が互にねたみあってなすものである。これもまた空であって、風を捕えるようである。 愚かなる者は手をつかねて、自分の肉を食う。 片手に物を満たして平穏であるのは、両手に物を満たして労苦し、風を捕えるのにまさる。 わたしはまた、日の下に空なる事のあるのを見た。 ここに人がある。ひとりであって、仲間もなく、子もなく、兄弟もない。それでも彼の労苦は窮まりなく、その目は富に飽くことがない。また彼は言わない、「わたしはだれのために労するのか、どうして自分を楽しませないのか」と。これもまた空であって、苦しいわざである。 ふたりはひとりにまさる。彼らはその労苦によって良い報いを得るからである。 すなわち彼らが倒れる時には、そのひとりがその友を助け起す。しかしひとりであって、その倒れる時、これを助け起す者のない者はわざわいである。 またふたりが一緒に寝れば暖かである。ひとりだけで、どうして暖かになり得ようか。 人がもし、そのひとりを攻め撃ったなら、ふたりで、それに当るであろう。三つよりの綱はたやすくは切れない。 貧しくて賢いわらべは、老いて愚かで、もはや、いさめをいれることを知らない王にまさる。 たとい、その王が獄屋から出て、王位についた者であっても、また自分の国に貧しく生れて王位についた者であっても、そうである。