テモテへの第一の手紙 3:1-8
テモテへの第一の手紙 3:1-8 Colloquial Japanese (1955) (JA1955)
「もし人が監督の職を望むなら、それは良い仕事を願うことである」とは正しい言葉である。 さて、監督は、非難のない人で、ひとりの妻の夫であり、自らを制し、慎み深く、礼儀正しく、旅人をもてなし、よく教えることができ、 酒を好まず、乱暴でなく、寛容であって、人と争わず、金に淡泊で、 自分の家をよく治め、謹厳であって、子供たちを従順な者に育てている人でなければならない。 自分の家を治めることも心得ていない人が、どうして神の教会を預かることができようか。 彼はまた、信者になって間もないものであってはならない。そうであると、高慢になって、悪魔と同じ審判を受けるかも知れない。 さらにまた、教会外の人々にもよく思われている人でなければならない。そうでないと、そしりを受け、悪魔のわなにかかるであろう。 それと同様に、執事も謹厳であって、二枚舌を使わず、大酒を飲まず、利をむさぼらず、
テモテへの第一の手紙 3:1-8 リビングバイブル (JCB)
「人がもし牧師になりたいと願うなら、それはすばらしいことである」ということばは真実です。 牧師になる人は、非難されるところがなく、一人の妻の夫で、勤勉で思慮深く、折り目正しい生活をしている人であるべきです。また、客をよくもてなし、聖書を教える力がなければなりません。 酒飲みでも、乱暴者でもなく、やさしく親切で、金銭に執着がなく、 子どもたちをしつけ、よく家庭を治める人でなければなりません。 自分の小さな家庭すら治めきれない人が、どうして神の教会を指導できるでしょう。 また、牧師となる者は、クリスチャンになってまだ日の浅い人ではいけません。高慢になる危険性があるからです。高慢は堕落の前ぶれです。 また、教会外の人からも、評判の良い人でなければなりません。非難を受けて、悪魔のわなにはまらないためです。 教会の執事も、牧師と同じように、善良でまじめな人でなければなりません。大酒飲みや、不正な利益をむさぼる人でなく、
テモテへの第一の手紙 3:1-8 Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳 (新共同訳)
この言葉は真実です。 「監督の職を求める人がいれば、その人は良い仕事を望んでいる。」 だから、監督は、非のうちどころがなく、一人の妻の夫であり、節制し、分別があり、礼儀正しく、客を親切にもてなし、よく教えることができなければなりません。 また、酒におぼれず、乱暴でなく、寛容で、争いを好まず、金銭に執着せず、 自分の家庭をよく治め、常に品位を保って子供たちを従順な者に育てている人でなければなりません。 自分の家庭を治めることを知らない者に、どうして神の教会の世話ができるでしょうか。 監督は、信仰に入って間もない人ではいけません。それでは高慢になって悪魔と同じ裁きを受けかねないからです。 更に、監督は、教会以外の人々からも良い評判を得ている人でなければなりません。そうでなければ、中傷され、悪魔の罠に陥りかねないからです。 同じように、奉仕者たちも品位のある人でなければなりません。二枚舌を使わず、大酒を飲まず、恥ずべき利益をむさぼらず、
テモテへの第一の手紙 3:1-8 Japanese: 聖書 口語訳 (口語訳)
「もし人が監督の職を望むなら、それは良い仕事を願うことである」とは正しい言葉である。 さて、監督は、非難のない人で、ひとりの妻の夫であり、自らを制し、慎み深く、礼儀正しく、旅人をもてなし、よく教えることができ、 酒を好まず、乱暴でなく、寛容であって、人と争わず、金に淡泊で、 自分の家をよく治め、謹厳であって、子供たちを従順な者に育てている人でなければならない。 自分の家を治めることも心得ていない人が、どうして神の教会を預かることができようか。 彼はまた、信者になって間もないものであってはならない。そうであると、高慢になって、悪魔と同じ審判を受けるかも知れない。 さらにまた、教会外の人々にもよく思われている人でなければならない。そうでないと、そしりを受け、悪魔のわなにかかるであろう。 それと同様に、執事も謹厳であって、二枚舌を使わず、大酒を飲まず、利をむさぼらず、