コリント人への第一の手紙 11:5-18

コリント人への第一の手紙 11:5-18 Japanese: 聖書 口語訳 (口語訳)

祈をしたり預言をしたりする時、かしらにおおいをかけない女は、そのかしらをはずかしめる者である。それは、髪をそったのとまったく同じだからである。 もし女がおおいをかけないなら、髪を切ってしまうがよい。髪を切ったりそったりするのが、女にとって恥ずべきことであるなら、おおいをかけるべきである。 男は、神のかたちであり栄光であるから、かしらに物をかぶるべきではない。女は、また男の光栄である。 なぜなら、男が女から出たのではなく、女が男から出たのだからである。 また、男は女のために造られたのではなく、女が男のために造られたのである。 それだから、女は、かしらに権威のしるしをかぶるべきである。それは天使たちのためでもある。 ただ、主にあっては、男なしには女はないし、女なしには男はない。 それは、女が男から出たように、男もまた女から生れたからである。そして、すべてのものは神から出たのである。 あなたがた自身で判断してみるがよい。女がおおいをかけずに神に祈るのは、ふさわしいことだろうか。 自然そのものが教えているではないか。男に長い髪があれば彼の恥になり、 女に長い髪があれば彼女の光栄になるのである。長い髪はおおいの代りに女に与えられているものだからである。 しかし、だれかがそれに反対の意見を持っていても、そんな風習はわたしたちにはなく、神の諸教会にもない。 ところで、次のことを命じるについては、あなたがたをほめるわけにはいかない。というのは、あなたがたの集まりが利益にならないで、かえって損失になっているからである。 まず、あなたがたが教会に集まる時、お互の間に分争があることを、わたしは耳にしており、そしていくぶんか、それを信じている。

コリント人への第一の手紙 11:5-18 Colloquial Japanese (1955) (JA1955)

祈をしたり預言をしたりする時、かしらにおおいをかけない女は、そのかしらをはずかしめる者である。それは、髪をそったのとまったく同じだからである。 もし女がおおいをかけないなら、髪を切ってしまうがよい。髪を切ったりそったりするのが、女にとって恥ずべきことであるなら、おおいをかけるべきである。 男は、神のかたちであり栄光であるから、かしらに物をかぶるべきではない。女は、また男の光栄である。 なぜなら、男が女から出たのではなく、女が男から出たのだからである。 また、男は女のために造られたのではなく、女が男のために造られたのである。 それだから、女は、かしらに権威のしるしをかぶるべきである。それは天使たちのためでもある。 ただ、主にあっては、男なしには女はないし、女なしには男はない。 それは、女が男から出たように、男もまた女から生れたからである。そして、すべてのものは神から出たのである。 あなたがた自身で判断してみるがよい。女がおおいをかけずに神に祈るのは、ふさわしいことだろうか。 自然そのものが教えているではないか。男に長い髪があれば彼の恥になり、 女に長い髪があれば彼女の光栄になるのである。長い髪はおおいの代りに女に与えられているものだからである。 しかし、だれかがそれに反対の意見を持っていても、そんな風習はわたしたちにはなく、神の諸教会にもない。 ところで、次のことを命じるについては、あなたがたをほめるわけにはいかない。というのは、あなたがたの集まりが利益にならないで、かえって損失になっているからである。 まず、あなたがたが教会に集まる時、お互の間に分争があることを、わたしは耳にしており、そしていくぶんか、それを信じている。

コリント人への第一の手紙 11:5-18 リビングバイブル (JCB)

また、女が頭にベールを着けずに、人前で祈ったり預言したりすれば、夫を侮辱することになります。ベールは、夫に対する服従のしるしだからです。 何も着けたくないなら、いっそ髪もそってしまいなさい。もし頭をそるのが女として恥ずかしいことなら、ベールを着けなさい。 しかし、男は何もかぶるべきではありません。男は神に似せて造られたのであり、神の栄光の現れです。女は男の栄光の現れです。 最初の男は女から造られたのではなく、最初の女が男から造られたのです。 最初の男アダムは、エバのために造られたのではなく、エバがアダムのために造られたのです。 そういうわけで女は、男の権威の下にあるしるしとして、頭にベールを着けなければなりません。すべての天使たちがそれを認めて、喜ぶためです。 しかし、神の計画では、男と女は、お互いを必要とし合う存在であることを忘れてはなりません。 なぜなら、最初の女は男から造られたとは言っても、それ以後、男はすべて女から生まれたからです。そして、男も女も神から出ているのです。 あなたがたは、この問題についてどう考えますか。女がベールも着けずに人前で祈ることは正しいでしょうか。 女が頭をおおうことは、きわめて自然ではありませんか。長い髪は女の誇りだからです。しかし、男の長い髪は恥なのです。 たとえ、この点について別の意見の人がいても、私はこのようにしか教えません。すなわち、女が教会で公に預言したり祈ったりする時は、必ずベールを着けなさい。このことは、どこの教会でも同じように考えています。 さて、もう一つ、私が残念に思っていることを書きます。それは、あなたがたの聖餐式の集まりが益になるどころか、かえって害になっているように思えることです。 その席で議論し合い、分裂がますます深刻化していると、私の耳にも伝わってきます。それを信じないわけにはいきません。

コリント人への第一の手紙 11:5-18 Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳 (新共同訳)

女はだれでも祈ったり、預言したりする際に、頭に物をかぶらないなら、その頭を侮辱することになります。それは、髪の毛をそり落としたのと同じだからです。 女が頭に物をかぶらないなら、髪の毛を切ってしまいなさい。女にとって髪の毛を切ったり、そり落としたりするのが恥ずかしいことなら、頭に物をかぶるべきです。 男は神の姿と栄光を映す者ですから、頭に物をかぶるべきではありません。しかし、女は男の栄光を映す者です。 というのは、男が女から出て来たのではなく、女が男から出て来たのだし、 男が女のために造られたのではなく、女が男のために造られたのだからです。 だから、女は天使たちのために、頭に力の印をかぶるべきです。 いずれにせよ、主においては、男なしに女はなく、女なしに男はありません。 それは女が男から出たように、男も女から生まれ、また、すべてのものが神から出ているからです。 自分で判断しなさい。女が頭に何もかぶらないで神に祈るのが、ふさわしいかどうか。 男は長い髪が恥であるのに対し、女は長い髪が誉れとなることを、自然そのものがあなたがたに教えていないでしょうか。長い髪は、かぶり物の代わりに女に与えられているのです。 この点について異論を唱えたい人がいるとしても、そのような習慣は、わたしたちにも神の教会にもありません。 次のことを指示するにあたって、わたしはあなたがたをほめるわけにはいきません。あなたがたの集まりが、良い結果よりは、むしろ悪い結果を招いているからです。 まず第一に、あなたがたが教会で集まる際、お互いの間に仲間割れがあると聞いています。わたしもある程度そういうことがあろうかと思います。

コリント人への第一の手紙 11:5-18 Japanese: 聖書 口語訳 (口語訳)

祈をしたり預言をしたりする時、かしらにおおいをかけない女は、そのかしらをはずかしめる者である。それは、髪をそったのとまったく同じだからである。 もし女がおおいをかけないなら、髪を切ってしまうがよい。髪を切ったりそったりするのが、女にとって恥ずべきことであるなら、おおいをかけるべきである。 男は、神のかたちであり栄光であるから、かしらに物をかぶるべきではない。女は、また男の光栄である。 なぜなら、男が女から出たのではなく、女が男から出たのだからである。 また、男は女のために造られたのではなく、女が男のために造られたのである。 それだから、女は、かしらに権威のしるしをかぶるべきである。それは天使たちのためでもある。 ただ、主にあっては、男なしには女はないし、女なしには男はない。 それは、女が男から出たように、男もまた女から生れたからである。そして、すべてのものは神から出たのである。 あなたがた自身で判断してみるがよい。女がおおいをかけずに神に祈るのは、ふさわしいことだろうか。 自然そのものが教えているではないか。男に長い髪があれば彼の恥になり、 女に長い髪があれば彼女の光栄になるのである。長い髪はおおいの代りに女に与えられているものだからである。 しかし、だれかがそれに反対の意見を持っていても、そんな風習はわたしたちにはなく、神の諸教会にもない。 ところで、次のことを命じるについては、あなたがたをほめるわけにはいかない。というのは、あなたがたの集まりが利益にならないで、かえって損失になっているからである。 まず、あなたがたが教会に集まる時、お互の間に分争があることを、わたしは耳にしており、そしていくぶんか、それを信じている。