ヨハネの手紙Ⅰ 3:1-24

ヨハネの手紙Ⅰ 3:1-24 JCB

天の父は、どんなに私たちを愛しておられることでしょう。私たちを、ご自分の子どもとして受け入れてくださったほどです。考えてもごらんなさい。神の子どもとされたのです。ところが、神を知らない多くの人は、当然、私たちが神の子どもであることを理解できません。 愛する人たち。私たちは、もうすでに神の子どもなのです。これから先のことは想像もつきませんが、ただこの一事だけはわかっています。つまり、キリストが再び来られる時、私たちはキリストに似た者となるということです。その時、キリストのありのままの姿を見るからです。 このことをほんとうに信じる人はみな、自分の身を、いつもきよく保とうと心がけます。キリストはきよいお方だからです。 罪を犯し続ける人は、神に逆らっているのです。罪はすべて、神のお心に反する行為だからです。 あなたがたは、キリストが人間となられたのは、私たちの罪を取り除くためであったことをよく知っています。また、キリストは何の罪も犯さず、どんな時にも、神のお心からそれなかったことも知っているはずです。 ですから、もし私たちが、いつもキリストのそば近くにおり、従順に従うなら、罪を犯し続けたりしないですみます。罪を犯す人々は、真の意味でキリストを知らず、キリストのものとなっていないからです。 愛する子どもたち。このことで、だれにも惑わされてはいけません。もし、あなたがたがいつも善を行っているなら、キリストと同じように正しく歩んでいるのです。 しかし、もし依然として罪を犯し続けるなら、それは悪魔の子になり下がった証拠です。悪魔は、初めの罪以来、ずっと罪を重ねてきました。神の御子は、この悪魔のしわざを打ち破るために来られたのです。 神の家族の一員として新しく生まれた人には、神のいのちが宿っているので、もはや罪を犯す習慣はありません。新しいいのちに支配されているので、罪を犯し続けることができないのです。その人は神によってもう一度生まれたのです。 そこで今、私たちは、神の子どもと悪魔の子どもとを、はっきり見分けることができます。罪の生活を送り、兄弟であるクリスチャンを愛さない者は、自分から神の家族ではないと証明しているようなものです。 私たちは初めから、「互いに愛し合いなさい」と教えられてきたからです。 カインのようになってはいけません。カインは悪魔の子どもになって、弟を殺しました。弟の正しい生活と比べて、自分の生活があまりにも悪いと自覚していたからです。 ですから、皆さん。たとえ全世界があなたがたを憎んでも、驚いてはいけません。 ほかの兄弟(信仰を同じくする者)を愛しているなら、自分が霊の死から救われ、いのちを与えられたことを確信できます。そうでない者は、その死にとどまっているのです。 だれでも兄弟を憎む者は、心の中で人殺しをしているのです。言うまでもないことですが、人殺しをする者に永遠のいのちはありません。 キリストは、私たちのために進んでいのちを捨ててくださいました。そのことによって、私たちは愛を知ったのです。ですから、私たちも兄弟のために、いのちを捨てるべきです。 自分ではぜいたくに暮らしていながら、困っている兄弟がいても、見て見ぬふりをするとしたらどうでしょう。どうして、その人に神の愛があると言えるでしょう。 子どもたちよ。口先だけで人を愛するのではなく、真実をこめて愛し、実践によって神の愛を示そうではありませんか。 そうすれば、自分が神の側に立っていることを強く確信し、主の前に平安があるのです。 たとえ心に責められることがあってもです。 しかし、愛する人たち。もし私たちの良心が潔白であれば、完全な確信と信頼を持って主の前に出ることができます。 また、願い求めるものは何でもいただけるのです。なぜなら、私たちは主に従い、主に喜ばれる行いをしているからです。 神の命令には、喜んで従わなければなりません。つまり、御子イエス・キリストの名を信じ、互いに愛し合わなければなりません。 神の命令に喜んで従う人は、神と共にいるのです。そして、神もその人のそばにいてくださるのです。これは、神が私たちに与えてくださった聖霊によって教えられることです。