ローマ人への手紙 5:12-19

ローマ人への手紙 5:12-19 Colloquial Japanese (1955) (JA1955)

このようなわけで、ひとりの人によって、罪がこの世にはいり、また罪によって死がはいってきたように、こうして、すべての人が罪を犯したので、死が全人類にはいり込んだのである。 というのは、律法以前にも罪は世にあったが、律法がなければ、罪は罪として認められないのである。 しかし、アダムからモーセまでの間においても、アダムの違反と同じような罪を犯さなかった者も、死の支配を免れなかった。このアダムは、きたるべき者の型である。 しかし、恵みの賜物は罪過の場合とは異なっている。すなわち、もしひとりの罪過のために多くの人が死んだとすれば、まして、神の恵みと、ひとりの人イエス・キリストの恵みによる賜物とは、さらに豊かに多くの人々に満ちあふれたはずではないか。 かつ、この賜物は、ひとりの犯した罪の結果とは異なっている。なぜなら、さばきの場合は、ひとりの罪過から、罪に定めることになったが、恵みの場合には、多くの人の罪過から、義とする結果になるからである。 もし、ひとりの罪過によって、そのひとりをとおして死が支配するに至ったとすれば、まして、あふれるばかりの恵みと義の賜物とを受けている者たちは、ひとりのイエス・キリストをとおし、いのちにあって、さらに力強く支配するはずではないか。 このようなわけで、ひとりの罪過によってすべての人が罪に定められたように、ひとりの義なる行為によって、いのちを得させる義がすべての人に及ぶのである。 すなわち、ひとりの人の不従順によって、多くの人が罪人とされたと同じように、ひとりの従順によって、多くの人が義人とされるのである。

ローマ人への手紙 5:12-19 リビングバイブル (JCB)

アダムが罪を犯した時、罪が世界に入り込みました。アダムの罪によって死が全人類に広まり、すべての人は死ぬように定められました。それというのも、すべての人が罪を犯したからです。 これらの原因がアダムの罪にあることを、私たちは知っています。アダムからモーセまでの時代にも人々は罪を犯しましたが、神はそのころ、罪を犯したからといって、彼らに死刑を宣告したりはなさいませんでした。神はまだ、彼らに律法を与えておらず、また、彼らにどんなことを望んでおられるか告げてもいなかったからです。 そういうわけで、彼らの肉体の死はアダムの罪によるもので、彼らの罪のせいではありませんでした。アダムは人類を代表するという意味で、やがて来られるキリストの原型ですが、両者はなんと対照的でしょう。 人間の罪と神の赦しとの間には、なんと大きな違いがあることでしょう。アダム一人の罪によって多くの人に死がもたらされました。しかし、イエス・キリスト一人によって、多くの人に赦しがもたらされたのです。 つまりアダムの一つの罪が、多くの人に死の罰をもたらしました。一方、キリストは、無償で多くの罪を取り除き、その代わりにすばらしいいのちを下さるのです。 アダム一人の罪により、死はすべての人を支配するようになりましたが、神から、罪の赦しと無罪放免という無償の贈り物をいただく人はみな、イエス・キリスト一人によって、いのちに支配されるようになります。 アダムの罪はすべての人に刑罰をもたらしましたが、キリストの義は、人々を神の前に正しい者とするのです。それで、人々は生きることができるのです。 神に従わなかったアダムは多くの人を罪人にしましたが、神に従ったキリストは、多くの人を神に受け入れられる者としてくださいました。

ローマ人への手紙 5:12-19 Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳 (新共同訳)

このようなわけで、一人の人によって罪が世に入り、罪によって死が入り込んだように、死はすべての人に及んだのです。すべての人が罪を犯したからです。 律法が与えられる前にも罪は世にあったが、律法がなければ、罪は罪と認められないわけです。 しかし、アダムからモーセまでの間にも、アダムの違犯と同じような罪を犯さなかった人の上にさえ、死は支配しました。実にアダムは、来るべき方を前もって表す者だったのです。 しかし、恵みの賜物は罪とは比較になりません。一人の罪によって多くの人が死ぬことになったとすれば、なおさら、神の恵みと一人の人イエス・キリストの恵みの賜物とは、多くの人に豊かに注がれるのです。 この賜物は、罪を犯した一人によってもたらされたようなものではありません。裁きの場合は、一つの罪でも有罪の判決が下されますが、恵みが働くときには、いかに多くの罪があっても、無罪の判決が下されるからです。 一人の罪によって、その一人を通して死が支配するようになったとすれば、なおさら、神の恵みと義の賜物とを豊かに受けている人は、一人のイエス・キリストを通して生き、支配するようになるのです。 そこで、一人の罪によってすべての人に有罪の判決が下されたように、一人の正しい行為によって、すべての人が義とされて命を得ることになったのです。 一人の人の不従順によって多くの人が罪人とされたように、一人の従順によって多くの人が正しい者とされるのです。

ローマ人への手紙 5:12-19 Japanese: 聖書 口語訳 (口語訳)

このようなわけで、ひとりの人によって、罪がこの世にはいり、また罪によって死がはいってきたように、こうして、すべての人が罪を犯したので、死が全人類にはいり込んだのである。 というのは、律法以前にも罪は世にあったが、律法がなければ、罪は罪として認められないのである。 しかし、アダムからモーセまでの間においても、アダムの違反と同じような罪を犯さなかった者も、死の支配を免れなかった。このアダムは、きたるべき者の型である。 しかし、恵みの賜物は罪過の場合とは異なっている。すなわち、もしひとりの罪過のために多くの人が死んだとすれば、まして、神の恵みと、ひとりの人イエス・キリストの恵みによる賜物とは、さらに豊かに多くの人々に満ちあふれたはずではないか。 かつ、この賜物は、ひとりの犯した罪の結果とは異なっている。なぜなら、さばきの場合は、ひとりの罪過から、罪に定めることになったが、恵みの場合には、多くの人の罪過から、義とする結果になるからである。 もし、ひとりの罪過によって、そのひとりをとおして死が支配するに至ったとすれば、まして、あふれるばかりの恵みと義の賜物とを受けている者たちは、ひとりのイエス・キリストをとおし、いのちにあって、さらに力強く支配するはずではないか。 このようなわけで、ひとりの罪過によってすべての人が罪に定められたように、ひとりの義なる行為によって、いのちを得させる義がすべての人に及ぶのである。 すなわち、ひとりの人の不従順によって、多くの人が罪人とされたと同じように、ひとりの従順によって、多くの人が義人とされるのである。

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