ルカによる福音書 20:25-47

ルカによる福音書 20:25-47 Colloquial Japanese (1955) (JA1955)

するとイエスは彼らに言われた、「それなら、カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい」。 そこで彼らは、民衆の前でイエスの言葉じりを捕えることができず、その答に驚嘆して、黙ってしまった。 復活ということはないと言い張っていたサドカイ人のある者たちが、イエスに近寄ってきて質問した、 「先生、モーセは、わたしたちのためにこう書いています、『もしある人の兄が妻をめとり、子がなくて死んだなら、弟はこの女をめとって、兄のために子をもうけねばならない』。 ところで、ここに七人の兄弟がいました。長男は妻をめとりましたが、子がなくて死に、 そして次男、三男と、次々に、その女をめとり、 七人とも同様に、子をもうけずに死にました。 のちに、その女も死にました。 さて、復活の時には、この女は七人のうち、だれの妻になるのですか。七人とも彼女を妻にしたのですが」。 イエスは彼らに言われた、「この世の子らは、めとったり、とついだりするが、 かの世にはいって死人からの復活にあずかるにふさわしい者たちは、めとったり、とついだりすることはない。 彼らは天使に等しいものであり、また復活にあずかるゆえに、神の子でもあるので、もう死ぬことはあり得ないからである。 死人がよみがえることは、モーセも柴の篇で、主を『アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神』と呼んで、これを示した。 神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神である。人はみな神に生きるものだからである」。 律法学者のうちのある人々が答えて言った、「先生、仰せのとおりです」。 彼らはそれ以上何もあえて問いかけようとしなかった。 イエスは彼らに言われた、「どうして人々はキリストをダビデの子だと言うのか。 ダビデ自身が詩篇の中で言っている、『主はわが主に仰せになった、 あなたの敵をあなたの足台とする時までは、わたしの右に座していなさい』。 このように、ダビデはキリストを主と呼んでいる。それなら、どうしてキリストはダビデの子であろうか」。 民衆がみな聞いているとき、イエスは弟子たちに言われた、 「律法学者に気をつけなさい。彼らは長い衣を着て歩くのを好み、広場での敬礼や会堂の上席や宴会の上座をよろこび、 やもめたちの家を食い倒し、見えのために長い祈をする。彼らはもっときびしいさばきを受けるであろう」。

ルカによる福音書 20:25-47 リビングバイブル (JCB)

「それなら、皇帝のものは、皇帝に返せばいいでしょう。しかし、神のものはみな、神に返さなければなりません。」 公衆の面前でイエスのことばじりをとらえようとするたくらみは、みごと失敗に終わりました。彼らはイエスの答えに恐れ入り、返すことばもありませんでした。 次にやって来たのは、人は死んでしまえばそれまでで、復活などありえないと主張していたサドカイ人(神殿を支配していた祭司階級。ユダヤ教の主流派)たちでした。 「モーセの律法には、もしある人が子どものないまま死んだら、その弟は残された未亡人と結婚しなければならず、二人の間にできた子どもは、法律的には死んだ者の子として家を継ぐ、と書いてあります。 ところで、七人兄弟がいたとします。長男は結婚しましたが、子どもがないまま死んだので、 次男がその未亡人と結婚しました。ところが、彼も子どもができずに死にました。 こうして、兄弟が次々にこの未亡人と結婚したのですが、七人とも子どもがないまま死にました。 最後に、未亡人も死にました。 そこでお尋ねしたいのですが、この女は復活の時、いったいだれの妻になるのでしょう。兄弟みなが彼女と結婚したのですが。」 イエスは言われました。「結婚とは、この地上に住む人たちのものです。死から復活したのちに、天国へ行く資格があると認められた人たちは、結婚などしません。 二度と死ぬこともありません。この点では、天使と変わりなく、また、死人の中から新しいいのちへと復活したのですから、神の子どもなのです。 しかし、あなたがたがほんとうに聞きたいのは、復活があるかないかということでしょう。モーセ自身は何と書き残していますか。燃えさかる柴の中に現れた神とお会いした時、モーセは神を、『アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神』と呼びました。主を彼らの神と呼んでいる以上、彼らは生きているはずです。神は死んだ者の神ではありません。神に対して、みなが生きているのです。」 その場にいた律法の専門家たちは、「先生。非の打ちどころのないお答えです」と言い、 それ以上、尋ねようとはしませんでした。 すると今度は、イエスが質問なさいました。「あなたがたはどうして、キリストをダビデの子だと言うのですか。 ダビデ自身が、聖書の詩篇の中でこう歌っています。 『神が私の主に言われた。 「わたしがあなたの敵を あなたの足の下に置くまで、 わたしの右に座っていなさい。」』 キリストはダビデの子であると同時に、ダビデの主なのです。」 人々がイエスのことばに耳を傾けていると、イエスは弟子たちに言われました。 「ユダヤ教の学者たちを警戒しなさい。彼らはぜいたくな着物を着て歩き回り、通りで人々からていねいなあいさつを受けるのが何より好きです。また会堂や宴会で、上座に着くのも大好きです。 うわべは、さも信心深そうに、長々と祈りますが、実際は、未亡人をだまして財産をかすめ奪おうとしています。こういう人々には、神から最もきびしい罰が下るのです。」

ルカによる福音書 20:25-47 Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳 (新共同訳)

イエスは言われた。「それならば、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」 彼らは民衆の前でイエスの言葉じりをとらえることができず、その答えに驚いて黙ってしまった。 さて、復活があることを否定するサドカイ派の人々が何人か近寄って来て、イエスに尋ねた。 「先生、モーセはわたしたちのために書いています。『ある人の兄が妻をめとり、子がなくて死んだ場合、その弟は兄嫁と結婚して、兄の跡継ぎをもうけねばならない』と。 ところで、七人の兄弟がいました。長男が妻を迎えましたが、子がないまま死にました。 次男、 三男と次々にこの女を妻にしましたが、七人とも同じように子供を残さないで死にました。 最後にその女も死にました。 すると復活の時、その女はだれの妻になるのでしょうか。七人ともその女を妻にしたのです。」 イエスは言われた。「この世の子らはめとったり嫁いだりするが、 次の世に入って死者の中から復活するのにふさわしいとされた人々は、めとることも嫁ぐこともない。 この人たちは、もはや死ぬことがない。天使に等しい者であり、復活にあずかる者として、神の子だからである。 死者が復活することは、モーセも『柴』の個所で、主をアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神と呼んで、示している。 神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。すべての人は、神によって生きているからである。」 そこで、律法学者の中には、「先生、立派なお答えです」と言う者もいた。 彼らは、もはや何もあえて尋ねようとはしなかった。 イエスは彼らに言われた。「どうして人々は、『メシアはダビデの子だ』と言うのか。 ダビデ自身が詩編の中で言っている。 『主は、わたしの主にお告げになった。 「わたしの右の座に着きなさい。 わたしがあなたの敵を あなたの足台とするときまで」と。』 このようにダビデがメシアを主と呼んでいるのに、どうしてメシアがダビデの子なのか。」 民衆が皆聞いているとき、イエスは弟子たちに言われた。 「律法学者に気をつけなさい。彼らは長い衣をまとって歩き回りたがり、また、広場で挨拶されること、会堂では上席、宴会では上座に座ることを好む。 そして、やもめの家を食い物にし、見せかけの長い祈りをする。このような者たちは、人一倍厳しい裁きを受けることになる。」

ルカによる福音書 20:25-47 Japanese: 聖書 口語訳 (口語訳)

するとイエスは彼らに言われた、「それなら、カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい」。 そこで彼らは、民衆の前でイエスの言葉じりを捕えることができず、その答に驚嘆して、黙ってしまった。 復活ということはないと言い張っていたサドカイ人のある者たちが、イエスに近寄ってきて質問した、 「先生、モーセは、わたしたちのためにこう書いています、『もしある人の兄が妻をめとり、子がなくて死んだなら、弟はこの女をめとって、兄のために子をもうけねばならない』。 ところで、ここに七人の兄弟がいました。長男は妻をめとりましたが、子がなくて死に、 そして次男、三男と、次々に、その女をめとり、 七人とも同様に、子をもうけずに死にました。 のちに、その女も死にました。 さて、復活の時には、この女は七人のうち、だれの妻になるのですか。七人とも彼女を妻にしたのですが」。 イエスは彼らに言われた、「この世の子らは、めとったり、とついだりするが、 かの世にはいって死人からの復活にあずかるにふさわしい者たちは、めとったり、とついだりすることはない。 彼らは天使に等しいものであり、また復活にあずかるゆえに、神の子でもあるので、もう死ぬことはあり得ないからである。 死人がよみがえることは、モーセも柴の篇で、主を『アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神』と呼んで、これを示した。 神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神である。人はみな神に生きるものだからである」。 律法学者のうちのある人々が答えて言った、「先生、仰せのとおりです」。 彼らはそれ以上何もあえて問いかけようとしなかった。 イエスは彼らに言われた、「どうして人々はキリストをダビデの子だと言うのか。 ダビデ自身が詩篇の中で言っている、 『主はわが主に仰せになった、 あなたの敵をあなたの足台とする時までは、 わたしの右に座していなさい』。 このように、ダビデはキリストを主と呼んでいる。それなら、どうしてキリストはダビデの子であろうか」。 民衆がみな聞いているとき、イエスは弟子たちに言われた、 「律法学者に気をつけなさい。彼らは長い衣を着て歩くのを好み、広場での敬礼や会堂の上席や宴会の上座をよろこび、 やもめたちの家を食い倒し、見えのために長い祈をする。彼らはもっときびしいさばきを受けるであろう」。