ヨハネによる福音書 10:1-30

ヨハネによる福音書 10:1-30 Colloquial Japanese (1955) (JA1955)

よくよくあなたがたに言っておく。羊の囲いにはいるのに、門からでなく、ほかの所からのりこえて来る者は、盗人であり、強盗である。 門からはいる者は、羊の羊飼である。 門番は彼のために門を開き、羊は彼の声を聞く。そして彼は自分の羊の名をよんで連れ出す。 自分の羊をみな出してしまうと、彼は羊の先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、彼について行くのである。 ほかの人には、ついて行かないで逃げ去る。その人の声を知らないからである」。 イエスは彼らにこの比喩を話されたが、彼らは自分たちにお話しになっているのが何のことだか、わからなかった。 そこで、イエスはまた言われた、「よくよくあなたがたに言っておく。わたしは羊の門である。 わたしよりも前にきた人は、みな盗人であり、強盗である。羊は彼らに聞き従わなかった。 わたしは門である。わたしをとおってはいる者は救われ、また出入りし、牧草にありつくであろう。 盗人が来るのは、盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするためにほかならない。わたしがきたのは、羊に命を得させ、豊かに得させるためである。 わたしはよい羊飼である。よい羊飼は、羊のために命を捨てる。 羊飼ではなく、羊が自分のものでもない雇人は、おおかみが来るのを見ると、羊をすてて逃げ去る。そして、おおかみは羊を奪い、また追い散らす。 彼は雇人であって、羊のことを心にかけていないからである。 わたしはよい羊飼であって、わたしの羊を知り、わたしの羊はまた、わたしを知っている。 それはちょうど、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。そして、わたしは羊のために命を捨てるのである。 わたしにはまた、この囲いにいない他の羊がある。わたしは彼らをも導かねばならない。彼らも、わたしの声に聞き従うであろう。そして、ついに一つの群れ、ひとりの羊飼となるであろう。 父は、わたしが自分の命を捨てるから、わたしを愛して下さるのである。命を捨てるのは、それを再び得るためである。 だれかが、わたしからそれを取り去るのではない。わたしが、自分からそれを捨てるのである。わたしには、それを捨てる力があり、またそれを受ける力もある。これはわたしの父から授かった定めである」。 これらの言葉を語られたため、ユダヤ人の間にまたも分争が生じた。 そのうちの多くの者が言った、「彼は悪霊に取りつかれて、気が狂っている。どうして、あなたがたはその言うことを聞くのか」。 他の人々は言った、「それは悪霊に取りつかれた者の言葉ではない。悪霊は盲人の目をあけることができようか」。 そのころ、エルサレムで宮きよめの祭が行われた。時は冬であった。 イエスは、宮の中にあるソロモンの廊を歩いておられた。 するとユダヤ人たちが、イエスを取り囲んで言った、「いつまでわたしたちを不安のままにしておくのか。あなたがキリストであるなら、そうとはっきり言っていただきたい」。 イエスは彼らに答えられた、「わたしは話したのだが、あなたがたは信じようとしない。わたしの父の名によってしているすべてのわざが、わたしのことをあかししている。 あなたがたが信じないのは、わたしの羊でないからである。 わたしの羊はわたしの声に聞き従う。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしについて来る。 わたしは、彼らに永遠の命を与える。だから、彼らはいつまでも滅びることがなく、また、彼らをわたしの手から奪い去る者はない。 わたしの父がわたしに下さったものは、すべてにまさるものである。そしてだれも父のみ手から、それを奪い取ることはできない。 わたしと父とは一つである」。

ヨハネによる福音書 10:1-30 リビングバイブル (JCB)

「よく言っておきます。羊の囲いの中に門から入らないで、柵を乗り越えて忍び込む者は強盗です。 羊飼いなら堂々と門から入って来るはずです。 門番も羊飼いには門を開けてくれます。彼の声を聞くと、羊は回りに駆け寄って来ます。羊飼いは一匹一匹自分の羊の名を呼んで連れ出すのです。 先頭に立つのは羊飼い、羊はそのあとについて行きます。その声を知っているからです。 知らない人にはついて行かず、反対に逃げ出します。聞き覚えのない声だからです。」 イエスがこのたとえ話をなさっても、聞いている人々には、どういう意味かさっぱりわかりませんでした。 そこでイエスは説明なさいました。「いいですか。わたしが羊の出入りする門なのです。 わたしより前に来た人々はみな、どろぼうか強盗です。羊は、彼らの言うことは聞きませんでした。 わたしは門なのです。この門から入る者は救われます。また、安心して出入りができ、緑の牧草を見つけるのです。 強盗は、盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするために来ます。しかしわたしが来たのは、いのちをあふれるほど豊かに与えるためです。 わたしはまた、良い羊飼いです。良い羊飼いは羊のためにはいのちも捨てます。 雇い人は、狼が来れば羊を捨てて、すぐに逃げ出します。彼らは羊の持ち主でも、羊飼いでもないからです。こうして狼は羊にとびかかり、群れを追い散らしてしまいます。 雇い人はお金で雇われているだけで、羊のことをほんとうに心にかけているわけではないので、平気で逃げてしまうのです。 わたしは良い羊飼いであり、自分の羊を知っています。また、羊もわたしを知っています。 わたしの父がわたしを知っておられ、わたしも父を知っているのと同じです。わたしは羊のためにいのちを捨てるのです。 このほかに、別の囲いにも羊がいます。その羊をも導かなければなりません。やがてその羊も、わたしの声に注意深く聞き従い、一人の羊飼いのもとに一つの群れとなるのです。 わたしが再びいのちを得るためにいのちを投げ出すからこそ、父はわたしを愛してくださいます。 だれもわたしの意に反して、わたしを殺すことはできません。わたしが、自分から進んでいのちを捨てるのです。わたしには、いのちを自由に捨て、もう一度それを得る権威と力があるからです。父がこの権威を下さったのです。」 この話のことで、ユダヤ人の指導者たちの意見は、また真っ二つに分かれました。 「あいつは悪霊につかれているか、それとも気が変になっているかだ。あんなやつの言うことに耳を貸す必要なんかない」と息まく者があるかと思えば、 「いいや、とても悪霊につかれた者のことばとは思えない。だいいち、悪霊に盲人の目を開けることなんかできるはずもないだろう」と言い出す者もいました。 時は冬でした。宮きよめの祭りがあり、イエスもエルサレムにおられました。ちょうど、宮の中のソロモンの廊と呼ばれる所を歩いておられると、 ユダヤ人の指導者たちが来て、回りを取り囲みました。「いつまで気をもませるつもりですか。キリスト(救い主)なら、はっきりそう言ったらいいでしょう。」 彼らの質問に、イエスはお答えになりました。「そのことならもう話しました。あなたがたは信じませんでしたが。わたしは、父の御名によって何度も奇跡を行ったでしょう。証拠はそれで十分なはずです。 それでも、あなたがたはわたしを信じないのです。あなたがたはわたしの羊の群れに属さないのですから、しかたがありません。 わたしの羊はわたしの声を聞き分けます。わたしは彼らを知っているし、彼らもわたしにはついて来ます。 わたしは彼らに永遠のいのちを与えるのです。彼らは絶対に滅びることがなく、また、だれもわたしの手から彼らを奪い取ることはできません。 父がわたしに下さった群れなのですから。父はだれよりも力があります。わたしの羊をさらうことなど、だれにもできません。 わたしと父とは一つです。」

ヨハネによる福音書 10:1-30 Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳 (新共同訳)

「はっきり言っておく。羊の囲いに入るのに、門を通らないでほかの所を乗り越えて来る者は、盗人であり、強盗である。 門から入る者が羊飼いである。 門番は羊飼いには門を開き、羊はその声を聞き分ける。羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す。 自分の羊をすべて連れ出すと、先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、ついて行く。 しかし、ほかの者には決してついて行かず、逃げ去る。ほかの者たちの声を知らないからである。」 イエスは、このたとえをファリサイ派の人々に話されたが、彼らはその話が何のことか分からなかった。 イエスはまた言われた。「はっきり言っておく。わたしは羊の門である。 わたしより前に来た者は皆、盗人であり、強盗である。しかし、羊は彼らの言うことを聞かなかった。 わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。その人は、門を出入りして牧草を見つける。 盗人が来るのは、盗んだり、屠ったり、滅ぼしたりするためにほかならない。わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである。 わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。 羊飼いでなく、自分の羊を持たない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げる。――狼は羊を奪い、また追い散らす。―― 彼は雇い人で、羊のことを心にかけていないからである。 わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。 それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。わたしは羊のために命を捨てる。 わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。 わたしは命を、再び受けるために、捨てる。それゆえ、父はわたしを愛してくださる。 だれもわたしから命を奪い取ることはできない。わたしは自分でそれを捨てる。わたしは命を捨てることもでき、それを再び受けることもできる。これは、わたしが父から受けた掟である。」 この話をめぐって、ユダヤ人たちの間にまた対立が生じた。 多くのユダヤ人は言った。「彼は悪霊に取りつかれて、気が変になっている。なぜ、あなたたちは彼の言うことに耳を貸すのか。」 ほかの者たちは言った。「悪霊に取りつかれた者は、こういうことは言えない。悪霊に盲人の目が開けられようか。」 そのころ、エルサレムで神殿奉献記念祭が行われた。冬であった。 イエスは、神殿の境内でソロモンの回廊を歩いておられた。 すると、ユダヤ人たちがイエスを取り囲んで言った。「いつまで、わたしたちに気をもませるのか。もしメシアなら、はっきりそう言いなさい。」 イエスは答えられた。「わたしは言ったが、あなたたちは信じない。わたしが父の名によって行う業が、わたしについて証しをしている。 しかし、あなたたちは信じない。わたしの羊ではないからである。 わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従う。 わたしは彼らに永遠の命を与える。彼らは決して滅びず、だれも彼らをわたしの手から奪うことはできない。 わたしの父がわたしにくださったものは、すべてのものより偉大であり、だれも父の手から奪うことはできない。 わたしと父とは一つである。」

ヨハネによる福音書 10:1-30 Japanese: 聖書 口語訳 (口語訳)

よくよくあなたがたに言っておく。羊の囲いにはいるのに、門からでなく、ほかの所からのりこえて来る者は、盗人であり、強盗である。 門からはいる者は、羊の羊飼である。 門番は彼のために門を開き、羊は彼の声を聞く。そして彼は自分の羊の名をよんで連れ出す。 自分の羊をみな出してしまうと、彼は羊の先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、彼について行くのである。 ほかの人には、ついて行かないで逃げ去る。その人の声を知らないからである」。 イエスは彼らにこの比喩を話されたが、彼らは自分たちにお話しになっているのが何のことだか、わからなかった。 そこで、イエスはまた言われた、「よくよくあなたがたに言っておく。わたしは羊の門である。 わたしよりも前にきた人は、みな盗人であり、強盗である。羊は彼らに聞き従わなかった。 わたしは門である。わたしをとおってはいる者は救われ、また出入りし、牧草にありつくであろう。 盗人が来るのは、盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするためにほかならない。わたしがきたのは、羊に命を得させ、豊かに得させるためである。 わたしはよい羊飼である。よい羊飼は、羊のために命を捨てる。 羊飼ではなく、羊が自分のものでもない雇人は、おおかみが来るのを見ると、羊をすてて逃げ去る。そして、おおかみは羊を奪い、また追い散らす。 彼は雇人であって、羊のことを心にかけていないからである。 わたしはよい羊飼であって、わたしの羊を知り、わたしの羊はまた、わたしを知っている。 それはちょうど、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。そして、わたしは羊のために命を捨てるのである。 わたしにはまた、この囲いにいない他の羊がある。わたしは彼らをも導かねばならない。彼らも、わたしの声に聞き従うであろう。そして、ついに一つの群れ、ひとりの羊飼となるであろう。 父は、わたしが自分の命を捨てるから、わたしを愛して下さるのである。命を捨てるのは、それを再び得るためである。 だれかが、わたしからそれを取り去るのではない。わたしが、自分からそれを捨てるのである。わたしには、それを捨てる力があり、またそれを受ける力もある。これはわたしの父から授かった定めである」。 これらの言葉を語られたため、ユダヤ人の間にまたも分争が生じた。 そのうちの多くの者が言った、「彼は悪霊に取りつかれて、気が狂っている。どうして、あなたがたはその言うことを聞くのか」。 他の人々は言った、「それは悪霊に取りつかれた者の言葉ではない。悪霊は盲人の目をあけることができようか」。 そのころ、エルサレムで宮きよめの祭が行われた。時は冬であった。 イエスは、宮の中にあるソロモンの廊を歩いておられた。 するとユダヤ人たちが、イエスを取り囲んで言った、「いつまでわたしたちを不安のままにしておくのか。あなたがキリストであるなら、そうとはっきり言っていただきたい」。 イエスは彼らに答えられた、「わたしは話したのだが、あなたがたは信じようとしない。わたしの父の名によってしているすべてのわざが、わたしのことをあかししている。 あなたがたが信じないのは、わたしの羊でないからである。 わたしの羊はわたしの声に聞き従う。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしについて来る。 わたしは、彼らに永遠の命を与える。だから、彼らはいつまでも滅びることがなく、また、彼らをわたしの手から奪い去る者はない。 わたしの父がわたしに下さったものは、すべてにまさるものである。そしてだれも父のみ手から、それを奪い取ることはできない。 わたしと父とは一つである」。