ヨハネによる福音書 1:1-51

ヨハネによる福音書 1:1-51 Colloquial Japanese (1955) (JA1955)

初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。 この言は初めに神と共にあった。 すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。 この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。 光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。 ここにひとりの人があって、神からつかわされていた。その名をヨハネと言った。 この人はあかしのためにきた。光についてあかしをし、彼によってすべての人が信じるためである。 彼は光ではなく、ただ、光についてあかしをするためにきたのである。 すべての人を照すまことの光があって、世にきた。 彼は世にいた。そして、世は彼によってできたのであるが、世は彼を知らずにいた。 彼は自分のところにきたのに、自分の民は彼を受けいれなかった。 しかし、彼を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである。 それらの人は、血すじによらず、肉の欲によらず、また、人の欲にもよらず、ただ神によって生れたのである。 そして言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。わたしたちはその栄光を見た。それは父のひとり子としての栄光であって、めぐみとまこととに満ちていた。 ヨハネは彼についてあかしをし、叫んで言った、「『わたしのあとに来るかたは、わたしよりもすぐれたかたである。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この人のことである」。 わたしたちすべての者は、その満ち満ちているものの中から受けて、めぐみにめぐみを加えられた。 律法はモーセをとおして与えられ、めぐみとまこととは、イエス・キリストをとおしてきたのである。 神を見た者はまだひとりもいない。ただ父のふところにいるひとり子なる神だけが、神をあらわしたのである。 さて、ユダヤ人たちが、エルサレムから祭司たちやレビ人たちをヨハネのもとにつかわして、「あなたはどなたですか」と問わせたが、その時ヨハネが立てたあかしは、こうであった。 すなわち、彼は告白して否まず、「わたしはキリストではない」と告白した。 そこで、彼らは問うた、「それでは、どなたなのですか、あなたはエリヤですか」。彼は「いや、そうではない」と言った。「では、あの預言者ですか」。彼は「いいえ」と答えた。 そこで、彼らは言った、「あなたはどなたですか。わたしたちをつかわした人々に、答を持って行けるようにしていただきたい。あなた自身をだれだと考えるのですか」。 彼は言った、「わたしは、預言者イザヤが言ったように、『主の道をまっすぐにせよと荒野で呼ばわる者の声』である」。 つかわされた人たちは、パリサイ人であった。 彼らはヨハネに問うて言った、「では、あなたがキリストでもエリヤでもまたあの預言者でもないのなら、なぜバプテスマを授けるのですか」。 ヨハネは彼らに答えて言った、「わたしは水でバプテスマを授けるが、あなたがたの知らないかたが、あなたがたの中に立っておられる。 それがわたしのあとにおいでになる方であって、わたしはその人のくつのひもを解く値うちもない」。 これらのことは、ヨハネがバプテスマを授けていたヨルダンの向こうのベタニヤであったのである。 その翌日、ヨハネはイエスが自分の方にこられるのを見て言った、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。 『わたしのあとに来るかたは、わたしよりもすぐれたかたである。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この人のことである。 わたしはこのかたを知らなかった。しかし、このかたがイスラエルに現れてくださるそのことのために、わたしはきて、水でバプテスマを授けているのである」。 ヨハネはまたあかしをして言った、「わたしは、御霊がはとのように天から下って、彼の上にとどまるのを見た。 わたしはこの人を知らなかった。しかし、水でバプテスマを授けるようにと、わたしをおつかわしになったそのかたが、わたしに言われた、『ある人の上に、御霊が下ってとどまるのを見たら、その人こそは、御霊によってバプテスマを授けるかたである』。 わたしはそれを見たので、このかたこそ神の子であると、あかしをしたのである」。 その翌日、ヨハネはまたふたりの弟子たちと一緒に立っていたが、 イエスが歩いておられるのに目をとめて言った、「見よ、神の小羊」。 そのふたりの弟子は、ヨハネがそう言うのを聞いて、イエスについて行った。 イエスはふり向き、彼らがついてくるのを見て言われた、「何か願いがあるのか」。彼らは言った、「ラビ(訳して言えば、先生)どこにおとまりなのですか」。 イエスは彼らに言われた、「きてごらんなさい。そうしたらわかるだろう」。そこで彼らはついて行って、イエスの泊まっておられる所を見た。そして、その日はイエスのところに泊まった。時は午後四時ごろであった。 ヨハネから聞いて、イエスについて行ったふたりのうちのひとりは、シモン・ペテロの兄弟アンデレであった。 彼はまず自分の兄弟シモンに出会って言った、「わたしたちはメシヤ(訳せば、キリスト)にいま出会った」。 そしてシモンをイエスのもとにつれてきた。イエスは彼に目をとめて言われた、「あなたはヨハネの子シモンである。あなたをケパ(訳せば、ペテロ)と呼ぶことにする」。 その翌日、イエスはガリラヤに行こうとされたが、ピリポに出会って言われた、「わたしに従ってきなさい」。 ピリポは、アンデレとペテロとの町ベツサイダの人であった。 このピリポがナタナエルに出会って言った、「わたしたちは、モーセが律法の中にしるしており、預言者たちがしるしていた人、ヨセフの子、ナザレのイエスにいま出会った」。 ナタナエルは彼に言った、「ナザレから、なんのよいものが出ようか」。ピリポは彼に言った、「きて見なさい」。 イエスはナタナエルが自分の方に来るのを見て、彼について言われた、「見よ、あの人こそ、ほんとうのイスラエル人である。その心には偽りがない」。 ナタナエルは言った、「どうしてわたしをご存じなのですか」。イエスは答えて言われた、「ピリポがあなたを呼ぶ前に、わたしはあなたが、いちじくの木の下にいるのを見た」。 ナタナエルは答えた、「先生、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です」。 イエスは答えて言われた、「あなたが、いちじくの木の下にいるのを見たと、わたしが言ったので信じるのか。これよりも、もっと大きなことを、あなたは見るであろう」。 また言われた、「よくよくあなたがたに言っておく。天が開けて、神の御使たちが人の子の上に上り下りするのを、あなたがたは見るであろう」。

ヨハネによる福音書 1:1-51 リビングバイブル (JCB)

まだこの世界に何もない時から、キリストは神と共におられました。キリストは、いつの時代にも生きておられます。キリストは神だからです。 このキリストが、すべてのものをお造りになりました。そうでないものは一つもありません。 キリストには永遠のいのちがあります。全人類に光を与えるいのちです。 そのいのちは暗闇の中でさんぜんと輝いていて、どんな暗闇もこの光を消すことはできません。 イエス・キリストこそほんとうの光です。このことを証言させるために、神はバプテスマのヨハネをお遣わしになりました。 ヨハネ自身は光ではなく、ただその光を指し示す証人にすぎません。 後に、ほんとうの光である方が来て、全世界の人々を照らしてくださったのです。 ところが、世界を造った方が来られたというのに、だれもこの方に気づきませんでした。 ご自分の国に来ながら、ご自分の民に受け入れられなかったのです。この方を心から喜び迎えたのは、ほんのわずかな人たちだけでしたが、受け入れた人はみな、この方から神の子どもとなる特権をいただきました。それにはただ、この方が救ってくださると信じればよかったのです。 信じる人はだれでも、新しく生まれ変わります。それは、人間の熱意や計画によるものではありません。神がそう望まれたからです。 キリストは人間となり、この地上で私たちと共に生活なさいました。彼は恵みと真実のお方でした。私たちは、この方の栄光を目のあたりにしました。それは天の父である神の、ひとり子としての栄光でした。 バプテスマのヨハネは、人々にキリストを紹介しました。「私が今まで、『まもなく来られる方は、私よりはるかに偉大な方だ。私が生まれるずっと前からおられたからだ』と言ってきたのは、まさにこの方のことです。」 この方の恵みは尽きることがありません。私たちはみな、次から次へと、あふれるばかりに恵みをいただきました。 モーセはきびしい命令と戒めとを与えましたが、イエス・キリストはその上に、愛に満ちた赦しの道を備えてくださったのです。 いまだかつて、実際に神を見た人はいません。しかし、神のひとり子だけは別です。御子は父なる神といつもいっしょですから、神について知っていることを教えてくださいました。 ユダヤ人の指導者たちは、エルサレムから、祭司とその助手たちとをバプテスマのヨハネのもとへ派遣し、「あなたはキリスト(ギリシャ語で、救い主)なのか」と問いたださせました。 ヨハネは、「私はキリストではない」と、きっぱり否定しました。 「では、いったいだれか。エリヤか。」「いや、違う。」「すると、あの預言者か。」「いや。」 「では、いったい何者か。はっきりしてくれ。私たちは帰って報告しなければならないのだ。あなたはだれなのか。」 「私は、イザヤが預言した、あの荒野から聞こえる叫び声です。『主を迎える準備をせよ』と叫ぶ声、それが私です。」 パリサイ人(特に律法を守ることに熱心なユダヤ教の一派)から派遣された人たちは、なおもヨハネに問いました。「キリストでも、エリヤでも、あの預言者でもないのなら、いったいどんな資格でバプテスマ(洗礼)を授けているのか。」 ヨハネは答えました。「私はただ、水でバプテスマを授けているだけです。しかし、ここにいる人々の中には、あなたがたのまだ知らない方がおられます。 まもなく、あなたがたの間で働きを始められるでしょう。私にはその方のしもべとなる資格もないのです。」 このことがあったのは、ヨハネがバプテスマを授けていたヨルダン川の東岸にある、ベタニヤ村でのことです。 その翌日、ヨハネはイエスが来られるのを見て、言いました。「ごらんなさい。この方こそ、世の人々の罪を取り除く神の小羊です。 私が、『まもなく、私よりはるかに偉大な方がおいでになる。私よりずっと前からおられる方だ』と話していたのは、この方のことだったのです。 最初、私もこの方がキリストであるとはわかりませんでした。しかし、私がここで水のバプテスマを授けているのは、まさにこの方を、イスラエルの人々に紹介するためだったのです。」 ヨハネはさらに続けました。「確かに、聖霊が鳩のように天から下り、この方の上にとどまられるのを見ました。 それまでは私も、この方がキリストだとはわかりませんでした。しかし、バプテスマを授けさせるために私を遣わす時、神がこう言われたのです。『もし、聖霊がだれかに下り、その上にとどまるのを見たら、その方こそ、あなたの捜し求めている方、聖霊のバプテスマをお授けになる方である。』 そのとおりのことが、この方に起こりました。しっかりこの目で見たのです。この方は神の子にまちがいありません。」 その翌日、ヨハネは二人の弟子といっしょに立っていました。 目を上げると、イエスが歩いておられるではありませんか。その姿をじっと見つめながら、ヨハネは、「ごらんなさい。神の小羊です」と言いました。 これを聞いた弟子は二人とも、急いでイエスのあとを追いかけました。 その足音にイエスはふり向き、二人を見てお尋ねになりました。「何かご用ですか。」「先生。今、どちらにお泊まりですか。」 「いっしょに来なさい。すぐにわかります。」こう言われて二人は、イエスの泊まっておられる所までついて行きました。午後四時ごろのことでした。その日二人は、それからずっとイエスといっしょにいました。 二人のうち一人は、シモン・ペテロの兄弟アンデレでした。 それからアンデレはシモンを捜し出し、「とうとうメシヤ(ヘブル語で、救い主)にお会いしたよ」と言いました。 そして、彼をイエスのところへ連れて行きました。イエスはシモンをじっと見つめ、「あなたはヨハネの子シモンですね。これからは、ペテロ(岩)と呼びましょう」と言われました。 その翌日、イエスはガリラヤへ出発されました。途中、ピリポを見つけ、「さあ、ついて来なさい」と言われました。 ピリポはアンデレやペテロと同郷で、ベツサイダの出身でした。 ピリポはナタナエルを捜しに行き、会うなり言いました。「私たちはメシヤにお会いした。モーセや預言者たちが言った、あのお方のことだよ。ナザレ出身のイエスという方で、ヨセフという人の息子さんだそうだ。」 「ナザレだって!」ナタナエルはびっくりしました。「あんな所から、すぐれた人物など出るはずがない。」しかしピリポは、「とにかく来て、自分の目で確かめたらいいだろう」と言いました。 ナタナエルも行ってみる気になりました。イエスは歩いて来るナタナエルの姿に目をとめておっしゃいました。「この人こそ生粋のイスラエル人です。正直で、うそがありません。」 「どうして、おわかりなのですか。」ナタナエルは聞き返しました。「わたしは、ピリポがあなたに会う前に、あなたがいちじくの木の下にいるのを見ましたよ。」 「先生。あなたは神の子、イスラエルの王です。」 「そう信じるのは、あなたがいちじくの木の下にいるのを見たと、わたしが言ったからですか。それよりもはるかにすばらしい証拠があります。 天が開けて、天使たちがメシヤのわたしの上を行き来するのを、やがて、あなたがたは見るのです。」

ヨハネによる福音書 1:1-51 Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳 (新共同訳)

初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。 この言は、初めに神と共にあった。 万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。 言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。 光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。 神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。 彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。 彼は光ではなく、光について証しをするために来た。 その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。 言は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。 言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。 しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。 この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。 言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。 ヨハネは、この方について証しをし、声を張り上げて言った。「『わたしの後から来られる方は、わたしより優れている。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。」 わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。 律法はモーセを通して与えられたが、恵みと真理はイエス・キリストを通して現れたからである。 いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。 さて、ヨハネの証しはこうである。エルサレムのユダヤ人たちが、祭司やレビ人たちをヨハネのもとへ遣わして、「あなたは、どなたですか」と質問させたとき、 彼は公言して隠さず、「わたしはメシアではない」と言い表した。 彼らがまた、「では何ですか。あなたはエリヤですか」と尋ねると、ヨハネは、「違う」と言った。更に、「あなたは、あの預言者なのですか」と尋ねると、「そうではない」と答えた。 そこで、彼らは言った。「それではいったい、だれなのです。わたしたちを遣わした人々に返事をしなければなりません。あなたは自分を何だと言うのですか。」 ヨハネは、預言者イザヤの言葉を用いて言った。 「わたしは荒れ野で叫ぶ声である。 『主の道をまっすぐにせよ』と。」 遣わされた人たちはファリサイ派に属していた。 彼らがヨハネに尋ねて、「あなたはメシアでも、エリヤでも、またあの預言者でもないのに、なぜ、洗礼を授けるのですか」と言うと、 ヨハネは答えた。「わたしは水で洗礼を授けるが、あなたがたの中には、あなたがたの知らない方がおられる。 その人はわたしの後から来られる方で、わたしはその履物のひもを解く資格もない。」 これは、ヨハネが洗礼を授けていたヨルダン川の向こう側、ベタニアでの出来事であった。 その翌日、ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。 『わたしの後から一人の人が来られる。その方はわたしにまさる。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。 わたしはこの方を知らなかった。しかし、この方がイスラエルに現れるために、わたしは、水で洗礼を授けに来た。」 そしてヨハネは証しした。「わたしは、“霊”が鳩のように天から降って、この方の上にとどまるのを見た。 わたしはこの方を知らなかった。しかし、水で洗礼を授けるためにわたしをお遣わしになった方が、『“霊”が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が、聖霊によって洗礼を授ける人である』とわたしに言われた。 わたしはそれを見た。だから、この方こそ神の子であると証ししたのである。」 その翌日、また、ヨハネは二人の弟子と一緒にいた。 そして、歩いておられるイエスを見つめて、「見よ、神の小羊だ」と言った。 二人の弟子はそれを聞いて、イエスに従った。 イエスは振り返り、彼らが従って来るのを見て、「何を求めているのか」と言われた。彼らが、「ラビ――『先生』という意味――どこに泊まっておられるのですか」と言うと、 イエスは、「来なさい。そうすれば分かる」と言われた。そこで、彼らはついて行って、どこにイエスが泊まっておられるかを見た。そしてその日は、イエスのもとに泊まった。午後四時ごろのことである。 ヨハネの言葉を聞いて、イエスに従った二人のうちの一人は、シモン・ペトロの兄弟アンデレであった。 彼は、まず自分の兄弟シモンに会って、「わたしたちはメシア――『油を注がれた者』という意味――に出会った」と言った。 そして、シモンをイエスのところに連れて行った。イエスは彼を見つめて、「あなたはヨハネの子シモンであるが、ケファ――『岩』という意味――と呼ぶことにする」と言われた。 その翌日、イエスは、ガリラヤへ行こうとしたときに、フィリポに出会って、「わたしに従いなさい」と言われた。 フィリポは、アンデレとペトロの町、ベトサイダの出身であった。 フィリポはナタナエルに出会って言った。「わたしたちは、モーセが律法に記し、預言者たちも書いている方に出会った。それはナザレの人で、ヨセフの子イエスだ。」 するとナタナエルが、「ナザレから何か良いものが出るだろうか」と言ったので、フィリポは、「来て、見なさい」と言った。 イエスは、ナタナエルが御自分の方へ来るのを見て、彼のことをこう言われた。「見なさい。まことのイスラエル人だ。この人には偽りがない。」 ナタナエルが、「どうしてわたしを知っておられるのですか」と言うと、イエスは答えて、「わたしは、あなたがフィリポから話しかけられる前に、いちじくの木の下にいるのを見た」と言われた。 ナタナエルは答えた。「ラビ、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です。」 イエスは答えて言われた。「いちじくの木の下にあなたがいるのを見たと言ったので、信じるのか。もっと偉大なことをあなたは見ることになる。」 更に言われた。「はっきり言っておく。天が開け、神の天使たちが人の子の上に昇り降りするのを、あなたがたは見ることになる。」

ヨハネによる福音書 1:1-51 Japanese: 聖書 口語訳 (口語訳)

初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。 この言は初めに神と共にあった。 すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。 この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。 光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。 ここにひとりの人があって、神からつかわされていた。その名をヨハネと言った。 この人はあかしのためにきた。光についてあかしをし、彼によってすべての人が信じるためである。 彼は光ではなく、ただ、光についてあかしをするためにきたのである。 すべての人を照すまことの光があって、世にきた。 彼は世にいた。そして、世は彼によってできたのであるが、世は彼を知らずにいた。 彼は自分のところにきたのに、自分の民は彼を受けいれなかった。 しかし、彼を受けいれた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである。 それらの人は、血すじによらず、肉の欲によらず、また、人の欲にもよらず、ただ神によって生れたのである。 そして言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。わたしたちはその栄光を見た。それは父のひとり子としての栄光であって、めぐみとまこととに満ちていた。 ヨハネは彼についてあかしをし、叫んで言った、「『わたしのあとに来るかたは、わたしよりもすぐれたかたである。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この人のことである」。 わたしたちすべての者は、その満ち満ちているものの中から受けて、めぐみにめぐみを加えられた。 律法はモーセをとおして与えられ、めぐみとまこととは、イエス・キリストをとおしてきたのである。 神を見た者はまだひとりもいない。ただ父のふところにいるひとり子なる神だけが、神をあらわしたのである。 さて、ユダヤ人たちが、エルサレムから祭司たちやレビ人たちをヨハネのもとにつかわして、「あなたはどなたですか」と問わせたが、その時ヨハネが立てたあかしは、こうであった。 すなわち、彼は告白して否まず、「わたしはキリストではない」と告白した。 そこで、彼らは問うた、「それでは、どなたなのですか、あなたはエリヤですか」。彼は「いや、そうではない」と言った。「では、あの預言者ですか」。彼は「いいえ」と答えた。 そこで、彼らは言った、「あなたはどなたですか。わたしたちをつかわした人々に、答えを持って行けるようにしていただきたい。あなた自身をだれだと考えるのですか」。 彼は言った、「わたしは、預言者イザヤが言ったように、『主の道をまっすぐにせよと荒野で呼ばわる者の声』である」。 つかわされた人たちは、パリサイ人であった。 彼らはヨハネに問うて言った、「では、あなたがキリストでもエリヤでもまたあの預言者でもないのなら、なぜバプテスマを授けるのですか」。 ヨハネは彼らに答えて言った、「わたしは水でバプテスマを授けるが、あなたがたの知らないかたが、あなたがたの中に立っておられる。 それがわたしのあとにおいでになる方であって、わたしはその人のくつのひもを解く値うちもない」。 これらのことは、ヨハネがバプテスマを授けていたヨルダンの向こうのベタニヤであったのである。 その翌日、ヨハネはイエスが自分の方にこられるのを見て言った、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。 『わたしのあとに来るかたは、わたしよりもすぐれたかたである。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この人のことである。 わたしはこのかたを知らなかった。しかし、このかたがイスラエルに現れてくださるそのことのために、わたしはきて、水でバプテスマを授けているのである」。 ヨハネはまたあかしをして言った、「わたしは、御霊がはとのように天から下って、彼の上にとどまるのを見た。 わたしはこの人を知らなかった。しかし、水でバプテスマを授けるようにと、わたしをおつかわしになったそのかたが、わたしに言われた、『ある人の上に、御霊が下ってとどまるのを見たら、その人こそは、御霊によってバプテスマを授けるかたである』。 わたしはそれを見たので、このかたこそ神の子であると、あかしをしたのである」。 その翌日、ヨハネはまたふたりの弟子たちと一緒に立っていたが、 イエスが歩いておられるのに目をとめて言った、「見よ、神の小羊」。 そのふたりの弟子は、ヨハネがそう言うのを聞いて、イエスについて行った。 イエスはふり向き、彼らがついてくるのを見て言われた、「何か願いがあるのか」。彼らは言った、「ラビ(訳して言えば、先生)どこにおとまりなのですか」。 イエスは彼らに言われた、「きてごらんなさい。そうしたらわかるだろう」。そこで彼らはついて行って、イエスの泊まっておられる所を見た。そして、その日はイエスのところに泊まった。時は午後四時ごろであった。 ヨハネから聞いて、イエスについて行ったふたりのうちのひとりは、シモン・ペテロの兄弟アンデレであった。 彼はまず自分の兄弟シモンに出会って言った、「わたしたちはメシヤ(訳せば、キリスト)にいま出会った」。 そしてシモンをイエスのもとにつれてきた。イエスは彼に目をとめて言われた、「あなたはヨハネの子シモンである。あなたをケパ(訳せば、ペテロ)と呼ぶことにする」。 その翌日、イエスはガリラヤに行こうとされたが、ピリポに出会って言われた、「わたしに従ってきなさい」。 ピリポは、アンデレとペテロとの町ベツサイダの人であった。 このピリポがナタナエルに出会って言った、「わたしたちは、モーセが律法の中にしるしており、預言者たちがしるしていた人、ヨセフの子、ナザレのイエスにいま出会った」。 ナタナエルは彼に言った、「ナザレから、なんのよいものが出ようか」。ピリポは彼に言った、「きて見なさい」。 イエスはナタナエルが自分の方に来るのを見て、彼について言われた、「見よ、あの人こそ、ほんとうのイスラエル人である。その心には偽りがない」。 ナタナエルは言った、「どうしてわたしをご存じなのですか」。イエスは答えて言われた、「ピリポがあなたを呼ぶ前に、わたしはあなたが、いちじくの木の下にいるのを見た」。 ナタナエルは答えた、「先生、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です」。 イエスは答えて言われた、「あなたが、いちじくの木の下にいるのを見たと、わたしが言ったので信じるのか。これよりも、もっと大きなことを、あなたは見るであろう」。 また言われた、「よくよくあなたがたに言っておく。天が開けて、神の御使たちが人の子の上に上り下りするのを、あなたがたは見るであろう」。

ヨハネによる福音書 1:1-51

ヨハネによる福音書 1:1-51 口語訳