ヘブル人への手紙 4:6-11
ヘブル人への手紙 4:6-11 Colloquial Japanese (1955) (JA1955)
そこで、その安息にはいる機会が、人々になお残されているのであり、しかも、初めに福音を伝えられた人々は、不従順のゆえに、はいることをしなかったのであるから、 神は、あらためて、ある日を「きょう」として定め、長く時がたってから、先に引用したとおり、「きょう、み声を聞いたなら、あなたがたの心を、かたくなにしてはいけない」とダビデをとおして言われたのである。 もしヨシュアが彼らを休ませていたとすれば、神はあとになって、ほかの日のことについて語られたはずはない。 こういうわけで、安息日の休みが、神の民のためにまだ残されているのである。 なぜなら、神の安息にはいった者は、神がみわざをやめて休まれたように、自分もわざを休んだからである。 したがって、わたしたちは、この安息にはいるように努力しようではないか。そうでないと、同じような不従順の悪例にならって、落ちて行く者が出るかもしれない。
ヘブル人への手紙 4:6-11 リビングバイブル (JCB)
しかし、安息の地への約束はまだ有効であり、そこに入ることが許されている人がいます。それは、不従順のため、最初に与えられた機会を失った人たちではありません。 神は、新しい機会を与えてくださいました。それが今なのです。最初の人たちの失敗の後、長い年月が過ぎたころ、神はダビデ王を通してこのことを知らせてくださいました。「今日、語りかけられる神の声を聞いたなら、心をかたくなにしてはいけない」と。 ここでの新しい安息の地とは、ヨシュアに率いられて入ったカナンの地(現在のパレスチナ)ではありません。もしそうなら、ずっとあとになって、今日がそこに入る時だなどと言われるはずがないからです。 そういうわけで、完全な安息が今なお、神を信じる人たちに備えられているのです。 キリストは、もうすでにそこにお入りになりました。神が創造の働きを終えて休まれたように、キリストも任務を果たして、安息の中におられるのです。 ですから私たちも、この安息の地に入れるように最善を尽くしましょう。イスラエルの人たちが神に不従順であったために入りそこねたことを、肝に銘じようではありませんか。
ヘブル人への手紙 4:6-11 Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳 (新共同訳)
そこで、この安息にあずかるはずの人々がまだ残っていることになり、また、先に福音を告げ知らされた人々が、不従順のためにあずからなかったのですから、 再び、神はある日を「今日」と決めて、かなりの時がたった後、既に引用したとおり、 「今日、あなたたちが神の声を聞くなら、 心をかたくなにしてはならない」 とダビデを通して語られたのです。 もしヨシュアが彼らに安息を与えたとするのなら、神は後になって他の日について語られることはなかったでしょう。 それで、安息日の休みが神の民に残されているのです。 なぜなら、神の安息にあずかった者は、神が御業を終えて休まれたように、自分の業を終えて休んだからです。 だから、わたしたちはこの安息にあずかるように努力しようではありませんか。さもないと、同じ不従順の例に倣って堕落する者が出るかもしれません。
ヘブル人への手紙 4:6-11 Japanese: 聖書 口語訳 (口語訳)
そこで、その安息にはいる機会が、人々になお残されているのであり、しかも、初めに福音を伝えられた人々は、不従順のゆえに、はいることをしなかったのであるから、 神は、あらためて、ある日を「きょう」として定め、長く時がたってから、先に引用したとおり、 「きょう、み声を聞いたなら、 あなたがたの心を、かたくなにしてはいけない」 とダビデをとおして言われたのである。 もしヨシュアが彼らを休ませていたとすれば、神はあとになって、ほかの日のことについて語られたはずはない。 こういうわけで、安息日の休みが、神の民のためにまだ残されているのである。 なぜなら、神の安息にはいった者は、神がみわざをやめて休まれたように、自分もわざを休んだからである。 したがって、わたしたちは、この安息にはいるように努力しようではないか。そうでないと、同じような不従順の悪例にならって、落ちて行く者が出るかもしれない。