ガラテヤ人への手紙 5:1-14

ガラテヤ人への手紙 5:1-14 Colloquial Japanese (1955) (JA1955)

自由を得させるために、キリストはわたしたちを解放して下さったのである。だから、堅く立って、二度と奴隷のくびきにつながれてはならない。 見よ、このパウロがあなたがたに言う。もし割礼を受けるなら、キリストはあなたがたに用のないものになろう。 割礼を受けようとするすべての人たちに、もう一度言っておく。そういう人たちは、律法の全部を行う義務がある。 律法によって義とされようとするあなたがたは、キリストから離れてしまっている。恵みから落ちている。 わたしたちは、御霊の助けにより、信仰によって義とされる望みを強くいだいている。 キリスト・イエスにあっては、割礼があってもなくても、問題ではない。尊いのは、愛によって働く信仰だけである。 あなたがたはよく走り続けてきたのに、だれが邪魔をして、真理にそむかせたのか。 そのような勧誘は、あなたがたを召されたかたから出たものではない。 少しのパン種でも、粉のかたまり全体をふくらませる。 あなたがたはいささかもわたしと違った思いをいだくことはないと、主にあって信頼している。しかし、あなたがたを動揺させている者は、それがだれであろうと、さばきを受けるであろう。 兄弟たちよ。わたしがもし今でも割礼を宣べ伝えていたら、どうして、いまなお迫害されるはずがあろうか。そうしていたら、十字架のつまずきは、なくなっているであろう。 あなたがたの煽動者どもは、自ら不具になるがよかろう。 兄弟たちよ。あなたがたが召されたのは、実に、自由を得るためである。ただ、その自由を、肉の働く機会としないで、愛をもって互に仕えなさい。 律法の全体は、「自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ」というこの一句に尽きるからである。

ガラテヤ人への手紙 5:1-14 リビングバイブル (JCB)

このように、キリストは私たちを自由の身にしてくださいました。ですから、この自由をしっかりと握っていなさい。もう二度と、律法にがんじがらめになった奴隷とならないよう、細心の注意をはらいなさい。 よく聞いてください。これは大切なことなのですから。もしあなたがたが、神の前で正しい者と認められるには、割礼を受け、ユダヤ教のおきてを守りさえすればいいと考えているなら、キリストに救っていただくことはあきらめなさい。 もう一度言います。割礼を受けることで神の恵みを手に入れるつもりなら、それ以外の律法も完璧に守るべきです。そうしなければ、死あるのみです。 もしあなたがたが、律法によって神への負債を帳消しにするつもりなら、キリストはあなたがたにとって全く無意味な存在です。あなたがたは、神の恵みからすべり落ちてしまったのです。 しかし私たちは、キリストの死によってこそ、罪が取り除かれ、神の前で正しい者と認められることを、聖霊の助けによって確信しています。 キリストから永遠のいのちをいただいた私たちは、割礼を受けたかどうか、ユダヤ教の儀式を守っているかどうか、心配する必要はありません。私たちに必要なのは、愛によって働く信仰だけです。 皆さんは、信仰の道を順調に走っていました。それを妨害したのはだれですか。真理に逆らわせたのはだれですか。 もちろん、神のはずはありません。あなたがたをキリストに基づく自由へと招いてくださったのは神なのですから。 しかし、あなたがたの中に悪い人が一人でもいるなら、その悪影響は全体に及ぶのです。 主はこの点について、あなたがたを私と同じ信仰に立ち返らせてくださるものと確信しています。人を惑わし、かき乱す者には、だれであろうと、神のさばきが下るのです。 よりによってこの私が、割礼やユダヤ教のしきたりが、救われるための必要条件だと教えていると言う者がいます。しかし、もしそうなら、私は迫害されることなどないはずではありませんか。そういった教えには、だれも腹を立てませんから。私が今なお迫害されているという事実こそ、私が今も、キリストの十字架を信じる信仰によってのみ救われると教えている証拠なのです。 割礼を受けさせて、あなたがたの肉体の一部を切り取りたいと思っている教師たちには、いっそのこと、自分自身をあなたがたから切り離してもらいたいものです。とにかく、手を引いてくれればよいと、私はそればかり願っています。 愛する皆さん。あなたがたは自由を手にしているのです。それは、悪を行うための自由ではなく、互いに愛し合い、仕え合うための自由です。 律法の全体は、「自分を愛するように他の人を愛しなさい」という一つの命令に要約されるからです。

ガラテヤ人への手紙 5:1-14 Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳 (新共同訳)

この自由を得させるために、キリストはわたしたちを自由の身にしてくださったのです。だから、しっかりしなさい。奴隷の軛に二度とつながれてはなりません。 ここで、わたしパウロはあなたがたに断言します。もし割礼を受けるなら、あなたがたにとってキリストは何の役にも立たない方になります。 割礼を受ける人すべてに、もう一度はっきり言います。そういう人は律法全体を行う義務があるのです。 律法によって義とされようとするなら、あなたがたはだれであろうと、キリストとは縁もゆかりもない者とされ、いただいた恵みも失います。 わたしたちは、義とされた者の希望が実現することを、“霊”により、信仰に基づいて切に待ち望んでいるのです。 キリスト・イエスに結ばれていれば、割礼の有無は問題ではなく、愛の実践を伴う信仰こそ大切です。 あなたがたは、よく走っていました。それなのに、いったいだれが邪魔をして真理に従わないようにさせたのですか。 このような誘いは、あなたがたを召し出しておられる方からのものではありません。 わずかなパン種が練り粉全体を膨らませるのです。 あなたがたが決して別な考えを持つことはないと、わたしは主をよりどころとしてあなたがたを信頼しています。あなたがたを惑わす者は、だれであろうと、裁きを受けます。 兄弟たち、このわたしが、今なお割礼を宣べ伝えているとするならば、今なお迫害を受けているのは、なぜですか。そのようなことを宣べ伝えれば、十字架のつまずきもなくなっていたことでしょう。 あなたがたをかき乱す者たちは、いっそのこと自ら去勢してしまえばよい。 兄弟たち、あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです。ただ、この自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えなさい。 律法全体は、「隣人を自分のように愛しなさい」という一句によって全うされるからです。

ガラテヤ人への手紙 5:1-14 Japanese: 聖書 口語訳 (口語訳)

自由を得させるために、キリストはわたしたちを解放して下さったのである。だから、堅く立って、二度と奴隷のくびきにつながれてはならない。 見よ、このパウロがあなたがたに言う。もし割礼を受けるなら、キリストはあなたがたに用のないものになろう。 割礼を受けようとするすべての人たちに、もう一度言っておく。そういう人たちは、律法の全部を行う義務がある。 律法によって義とされようとするあなたがたは、キリストから離れてしまっている。恵みから落ちている。 わたしたちは、御霊の助けにより、信仰によって義とされる望みを強くいだいている。 キリスト・イエスにあっては、割礼があってもなくても、問題ではない。尊いのは、愛によって働く信仰だけである。 あなたがたはよく走り続けてきたのに、だれが邪魔をして、真理にそむかせたのか。 そのような勧誘は、あなたがたを召されたかたから出たものではない。 少しのパン種でも、粉のかたまり全体をふくらませる。 あなたがたはいささかもわたしと違った思いをいだくことはないと、主にあって信頼している。しかし、あなたがたを動揺させている者は、それがだれであろうと、さばきを受けるであろう。 兄弟たちよ。わたしがもし今でも割礼を宣べ伝えていたら、どうして、いまなお迫害されるはずがあろうか。そうしていたら、十字架のつまずきは、なくなっているであろう。 あなたがたの煽動者どもは、自ら去勢してしまうがよかろう。 兄弟たちよ。あなたがたが召されたのは、実に、自由を得るためである。ただ、その自由を、肉の働く機会としないで、愛をもって互に仕えなさい。 律法の全体は、「自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ」というこの一句に尽きるからである。

ガラテヤ人への手紙 5:1-14

ガラテヤ人への手紙 5:1-14 口語訳ガラテヤ人への手紙 5:1-14 口語訳