ガラテヤ人への手紙 2:1-8

ガラテヤ人への手紙 2:1-8 Colloquial Japanese (1955) (JA1955)

その後十四年たってから、わたしはバルナバと一緒に、テトスをも連れて、再びエルサレムに上った。 そこに上ったのは、啓示によってである。そして、わたしが異邦人の間に宣べ伝えている福音を、人々に示し、「重だった人たち」には個人的に示した。それは、わたしが現に走っており、またすでに走ってきたことが、むだにならないためである。 しかし、わたしが連れていたテトスでさえ、ギリシヤ人であったのに、割礼をしいられなかった。 それは、忍び込んできたにせ兄弟らがいたので-彼らが忍び込んできたのは、キリスト・イエスにあって持っているわたしたちの自由をねらって、わたしたちを奴隷にするためであった。 わたしたちは、福音の真理があなたがたのもとに常にとどまっているように、瞬時も彼らの強要に屈服しなかった。 そして、かの「重だった人たち」からは-彼らがどんな人であったにしても、それは、わたしには全く問題ではない。神は人を分け隔てなさらないのだから-事実、かの「重だった人たち」は、わたしに何も加えることをしなかった。 それどころか、彼らは、ペテロが割礼の者への福音をゆだねられているように、わたしには無割礼の者への福音がゆだねられていることを認め、 (というのは、ペテロに働きかけて割礼の者への使徒の務につかせたかたは、わたしにも働きかけて、異邦人につかわして下さったからである)、

ガラテヤ人への手紙 2:1-9 リビングバイブル (JCB)

それから十四年たって、私はもう一度、エルサレムに上りました。その時はバルナバもいっしょで、テトスも同行させました。 このエルサレム行きは、神からの明確な指示に基づいたもので、私が外国人に伝えているキリストの福音について、エルサレムのクリスチャンと話し合うのが目的でした。私は、教会の指導者たちと個人的に話し合いました。それは、私の教えてきた内容を正しく理解してもらい、また、その正当性を認めてもらうためでした。 彼らは、それを承認してくれました。そればかりでなく、ギリシヤ人であった、私の仲間のテトスにも割礼(男子の性器の包皮を切り取る儀式)を強要しませんでした。 だいたいこの問題は、偽クリスチャンさえもぐり込んで来なければ、生じなかったのです。実は、彼らはスパイのように偵察し、私たちがキリスト・イエスを信じて得た自由がどんなものか、また、はたしてユダヤ教のおきてに従っているかどうかを探ろうとしていたのです。奴隷を鎖でつなぐように、彼らの規則で私たちをがんじがらめにしようとたくらんだのです。 しかし私たちは、ほんの一時も、彼らに耳を貸しませんでした。「割礼を受け、ユダヤ教のおきてを守ることによって救われる」などという考えで、あなたがたを混乱させたくなかったからです。 エルサレム教会のおもだった指導者たちも、私の宣べ伝えている内容に、何もつけ加えたりしませんでした。 事実、教会の柱として知られているヤコブとペテロとヨハネは、ちょうどユダヤ人伝道のためにペテロが大いに用いられたように、外国人を救いに導くために、神がどんなに私を用いてくださったかを認めてくれました。というのも、同じ神様が、私たちにそれぞれ特別の賜物を与えてくださっているからです。彼らは、バルナバと私に握手を求めました。そして、「われわれは、ユダヤ人を対象として伝道します。あなたがたは、外国人への伝道をそのまま続けてください」と、励ましてくれました。

ガラテヤ人への手紙 2:1-8 Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳 (新共同訳)

その後十四年たってから、わたしはバルナバと一緒にエルサレムに再び上りました。その際、テトスも連れて行きました。 エルサレムに上ったのは、啓示によるものでした。わたしは、自分が異邦人に宣べ伝えている福音について、人々に、とりわけ、おもだった人たちには個人的に話して、自分は無駄に走っているのではないか、あるいは走ったのではないかと意見を求めました。 しかし、わたしと同行したテトスでさえ、ギリシア人であったのに、割礼を受けることを強制されませんでした。 潜り込んで来た偽の兄弟たちがいたのに、強制されなかったのです。彼らは、わたしたちを奴隷にしようとして、わたしたちがキリスト・イエスによって得ている自由を付けねらい、こっそり入り込んで来たのでした。 福音の真理が、あなたがたのもとにいつもとどまっているように、わたしたちは、片ときもそのような者たちに屈服して譲歩するようなことはしませんでした。 おもだった人たちからも強制されませんでした。――この人たちがそもそもどんな人であったにせよ、それは、わたしにはどうでもよいことです。神は人を分け隔てなさいません。――実際、そのおもだった人たちは、わたしにどんな義務も負わせませんでした。 それどころか、彼らは、ペトロには割礼を受けた人々に対する福音が任されたように、わたしには割礼を受けていない人々に対する福音が任されていることを知りました。 割礼を受けた人々に対する使徒としての任務のためにペトロに働きかけた方は、異邦人に対する使徒としての任務のためにわたしにも働きかけられたのです。

ガラテヤ人への手紙 2:1-8 Japanese: 聖書 口語訳 (口語訳)

その後十四年たってから、わたしはバルナバと一緒に、テトスをも連れて、再びエルサレムに上った。 そこに上ったのは、啓示によってである。そして、わたしが異邦人の間に宣べ伝えている福音を、人々に示し、「重だった人たち」には個人的に示した。それは、わたしが現に走っており、またすでに走ってきたことが、むだにならないためである。 しかし、わたしが連れていたテトスでさえ、ギリシヤ人であったのに、割礼をしいられなかった。 それは、忍び込んできたにせ兄弟らがいたので――彼らが忍び込んできたのは、キリスト・イエスにあって持っているわたしたちの自由をねらって、わたしたちを奴隷にするためであった。 わたしたちは、福音の真理があなたがたのもとに常にとどまっているように、瞬時も彼らの強要に屈服しなかった。 そして、かの「重だった人たち」からは――彼らがどんな人であったにしても、それは、わたしには全く問題ではない。神は人を分け隔てなさらないのだから――事実、かの「重だった人たち」は、わたしに何も加えることをしなかった。 それどころか、彼らは、ペテロが割礼の者への福音をゆだねられているように、わたしには無割礼の者への福音がゆだねられていることを認め、 (というのは、ペテロに働きかけて割礼の者への使徒の務につかせたかたは、わたしにも働きかけて、異邦人につかわして下さったからである)、