伝道の書 9:2-10
伝道の書 9:2-10 Colloquial Japanese (1955) (JA1955)
すべての人に臨むところは、みな同様である。正しい者にも正しくない者にも、善良な者にも悪い者にも、清い者にも汚れた者にも、犠牲をささげる者にも、犠牲をささげない者にも、その臨むところは同様である。善良な人も罪びとも異なることはない。誓いをなす者も、誓いをなすことを恐れる者も異なることはない。 すべての人に同一に臨むのは、日の下に行われるすべての事のうちの悪事である。また人の心は悪に満ち、その生きている間は、狂気がその心のうちにあり、その後は死者のもとに行くのである。 すべて生ける者に連なる者には望みがある。生ける犬は、死せるししにまさるからである。 生きている者は死ぬべき事を知っている。しかし死者は何事をも知らない、また、もはや報いを受けることもない。その記憶に残る事がらさえも、ついに忘れられる。 その愛も、憎しみも、ねたみも、すでに消えうせて、彼らはもはや日の下に行われるすべての事に、永久にかかわることがない。 あなたは行って、喜びをもってあなたのパンを食べ、楽しい心をもってあなたの酒を飲むがよい。神はすでに、あなたのわざをよみせられたからである。 あなたの衣を常に白くせよ。あなたの頭に油を絶やすな。 日の下で神から賜わったあなたの空なる命の日の間、あなたはその愛する妻と共に楽しく暮すがよい。これはあなたが世にあってうける分、あなたが日の下で労する労苦によって得るものだからである。 すべてあなたの手のなしうる事は、力をつくしてなせ。あなたの行く陰府には、わざも、計略も、知識も、知恵もないからである。
伝道の書 9:2-10 リビングバイブル (JCB)
善人でも悪人でも、信仰がある人もない人も、神をののしる者も神を敬う者も、どんな人も、同じ摂理で動かされています。すべての人に同じ結末が来るとは、なんと不公平でしょう。だからこそ、人は正しく生きようとはせず、常軌を逸した道を選ぶのです。待ちかまえているのは死だけですから、希望などありません。 生きている人にだけ、希望があります。「死んだライオンより、生きている犬のほうがましだ」と言われるとおりです。 生きている者には、少なくとも自分は死ぬという自覚があります。ところが、死んだ者は何一つわからないのです。記憶さえありません。 愛したことも、ねたみ憎んだことも、とうの昔に消えてなくなり、もはやこの地上には一つも分け前がないのです。 さあ、食べて、飲んで、愉快に生きればよい。 神はそんなことで動じることはない。 かぐわしい香水をかけ、上等の服を着なさい。 短い一生の間、愛する女性と幸福に過ごしなさい。神が下さった妻は、地上での労苦に対する最大の報酬だからです。 何をするにしても、りっぱに仕上げなさい。あなたが行くことになる死後の世界では、仕事も計画も知識も知恵もないからです。
伝道の書 9:2-10 Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳 (新共同訳)
何事も同じで 同じひとつのことが善人にも悪人にも良い人にも 清い人にも不浄な人にも いけにえをささげる人にもささげない人にも臨む。 良い人に起こることが罪を犯す人にも起こり 誓いを立てる人に起こることが 誓いを恐れる人にも起こる。 太陽の下に起こるすべてのことの中で最も悪いのは、だれにでも同じひとつのことが臨むこと、その上、生きている間、人の心は悪に満ち、思いは狂っていて、その後は死ぬだけだということ。 命あるもののうちに数えられてさえいれば まだ安心だ。 犬でも、生きていれば、死んだ獅子よりましだ。 生きているものは、少なくとも知っている 自分はやがて死ぬ、ということを。 しかし、死者はもう何ひとつ知らない。 彼らはもう報いを受けることもなく 彼らの名は忘れられる。 その愛も憎しみも、情熱も、既に消えうせ 太陽の下に起こることのどれひとつにも もう何のかかわりもない。 さあ、喜んであなたのパンを食べ 気持よくあなたの酒を飲むがよい。 あなたの業を神は受け入れていてくださる。 どのようなときも純白の衣を着て 頭には香油を絶やすな。 太陽の下、与えられた空しい人生の日々 愛する妻と共に楽しく生きるがよい。 それが、太陽の下で労苦するあなたへの 人生と労苦の報いなのだ。 何によらず手をつけたことは熱心にするがよい。 いつかは行かなければならないあの陰府には 仕事も企ても、知恵も知識も、もうないのだ。
伝道の書 9:2-10 Japanese: 聖書 口語訳 (口語訳)
すべての人に臨むところは、みな同様である。正しい者にも正しくない者にも、善良な者にも悪い者にも、清い者にも汚れた者にも、犠牲をささげる者にも、犠牲をささげない者にも、その臨むところは同様である。善良な人も罪びとも異なることはない。誓いをなす者も、誓いをなすことを恐れる者も異なることはない。 すべての人に同一に臨むのは、日の下に行われるすべての事のうちの悪事である。また人の心は悪に満ち、その生きている間は、狂気がその心のうちにあり、その後は死者のもとに行くのである。 すべて生ける者に連なる者には望みがある。生ける犬は、死せるししにまさるからである。 生きている者は死ぬべき事を知っている。しかし死者は何事をも知らない、また、もはや報いを受けることもない。その記憶に残る事がらさえも、ついに忘れられる。 その愛も、憎しみも、ねたみも、すでに消えうせて、彼らはもはや日の下に行われるすべての事に、永久にかかわることがない。 あなたは行って、喜びをもってあなたのパンを食べ、楽しい心をもってあなたの酒を飲むがよい。神はすでに、あなたのわざをよみせられたからである。 あなたの衣を常に白くせよ。あなたの頭に油を絶やすな。 日の下で神から賜わったあなたの空なる命の日の間、あなたはその愛する妻と共に楽しく暮すがよい。これはあなたが世にあってうける分、あなたが日の下で労する労苦によって得るものだからである。 すべてあなたの手のなしうる事は、力をつくしてなせ。あなたの行く陰府には、わざも、計略も、知識も、知恵もないからである。