伝道の書 1:5-15
伝道の書 1:5-15 Colloquial Japanese (1955) (JA1955)
日はいで、日は没し、その出た所に急ぎ行く。 風は南に吹き、また転じて、北に向かい、めぐりにめぐって、またそのめぐる所に帰る。 川はみな、海に流れ入る、しかし海は満ちることがない。川はその出てきた所にまた帰って行く。 すべての事は人をうみ疲れさせる、人はこれを言いつくすことができない。目は見ることに飽きることがなく、耳は聞くことに満足することがない。 先にあったことは、また後にもある、先になされた事は、また後にもなされる。日の下には新しいものはない。 「見よ、これは新しいものだ」と言われるものがあるか、それはわれわれの前にあった世々に、すでにあったものである。 前の者のことは覚えられることがない、また、きたるべき後の者のことも、後に起る者はこれを覚えることがない。 伝道者であるわたしはエルサレムで、イスラエルの王であった。 わたしは心をつくし、知恵を用いて、天が下に行われるすべてのことを尋ね、また調べた。これは神が、人の子らに与えて、ほねおらせられる苦しい仕事である。 わたしは日の下で人が行うすべてのわざを見たが、みな空であって風を捕えるようである。 曲ったものは、まっすぐにすることができない、欠けたものは数えることができない。
伝道の書 1:3-15 リビングバイブル (JCB)
人はあくせく働いた報酬として、 何を手に入れるというのか。 一つの時代が去り、新しい時代が来るが、 少しも変わらない。 太陽は昇っては沈み、また昇ろうと、 急ぎ元の所に帰って行く。 風は南に吹き、北に吹き、あちこち向きを変えるが、 結局行き着く所はない。 川は海に注ぐが、 海は決してあふれることはない。 水は再び川に戻り、また海に流れて行く。 何もかも、くり返すばかりで、 あきあきする。 どれだけ見ていても満足できない。 どれだけ聞いても、 もうこれで良いということはない。 歴史はくり返すだけ。 ほんとうに新しいものなど何もない。 新しいように見えても、必ず前例があるか、すでに言い古されたものです。何か、「これは新しいものだ」と指摘できるものがあるでしょうか。それがずっと昔になかったと、どうしてわかるのですか。私たちは、先の時代にどんなことが起こったのか忘れてしまいます。そればかりか、のちの時代になれば、私たちが今していることを、だれも覚えていないのです。 伝道者である私はイスラエルの王で、エルサレムに住んでいました。私はこの世のあらゆることを理解しようと、全力を注ぎました。その結果、神が人間への分け前としてお与えになったものは、決して楽しいものでないことがわかりました。それはみな愚かに見え、風を追うようにむなしいものです。
伝道の書 1:5-15 Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳 (新共同訳)
日は昇り、日は沈み あえぎ戻り、また昇る。 風は南に向かい北へ巡り、めぐり巡って吹き 風はただ巡りつつ、吹き続ける。 川はみな海に注ぐが海は満ちることなく どの川も、繰り返しその道程を流れる。 何もかも、もの憂い。 語り尽くすこともできず 目は見飽きることなく 耳は聞いても満たされない。 かつてあったことは、これからもあり かつて起こったことは、これからも起こる。 太陽の下、新しいものは何ひとつない。 見よ、これこそ新しい、と言ってみても それもまた、永遠の昔からあり この時代の前にもあった。 昔のことに心を留めるものはない。 これから先にあることも その後の世にはだれも心に留めはしまい。 わたしコヘレトはイスラエルの王としてエルサレムにいた。 天の下に起こることをすべて知ろうと熱心に探究し、知恵を尽くして調べた。神はつらいことを人の子らの務めとなさったものだ。 わたしは太陽の下に起こることをすべて見極めたが、見よ、どれもみな空しく、風を追うようなことであった。 ゆがみは直らず 欠けていれば、数えられない。
伝道の書 1:5-15 Japanese: 聖書 口語訳 (口語訳)
日はいで、日は没し、 その出た所に急ぎ行く。 風は南に吹き、また転じて、北に向かい、 めぐりにめぐって、またそのめぐる所に帰る。 川はみな、海に流れ入る、 しかし海は満ちることがない。 川はその出てきた所にまた帰って行く。 すべての事は人をうみ疲れさせる、 人はこれを言いつくすことができない。 目は見ることに飽きることがなく、 耳は聞くことに満足することがない。 先にあったことは、また後にもある、 先になされた事は、また後にもなされる。 日の下には新しいものはない。 「見よ、これは新しいものだ」と 言われるものがあるか、 それはわれわれの前にあった世々に、 すでにあったものである。 前の者のことは覚えられることがない、 また、きたるべき後の者のことも、 後に起る者はこれを覚えることがない。 伝道者であるわたしはエルサレムで、イスラエルの王であった。 わたしは心をつくし、知恵を用いて、天が下に行われるすべてのことを尋ね、また調べた。これは神が、人の子らに与えて、ほねおらせられる苦しい仕事である。 わたしは日の下で人が行うすべてのわざを見たが、みな空であって風を捕えるようである。 曲ったものは、まっすぐにすることができない、 欠けたものは数えることができない。