列王記下 8:23-29
列王記下 8:23-29 Japanese: 聖書 口語訳 (口語訳)
ヨラムのその他の事績および彼がしたすべての事は、ユダの歴代志の書にしるされているではないか。 ヨラムはその先祖たちと共に眠って、ダビデの町にその先祖たちと共に葬られ、その子アハジヤが代って王となった。 イスラエルの王アハブの子ヨラムの第十二年にユダの王ヨラムの子アハジヤが位についた。 アハジヤは王となったとき二十二歳で、エルサレムで一年世を治めた。その母は名をアタリヤと言って、イスラエルの王オムリの孫娘であった。 アハジヤはまたアハブの家の道に歩み、アハブの家がしたように主の目の前に悪をおこなった。彼はアハブの家の婿であったからである。 彼はアハブの子ヨラムと共に行って、スリヤの王ハザエルとラモテ・ギレアデで戦ったが、スリヤびとらはヨラムに傷を負わせた。 ヨラム王はそのスリヤの王ハザエルと戦うときにラマでスリヤびとに負わされた傷をいやすため、エズレルに帰ったが、ユダの王ヨラムの子アハジヤはアハブの子ヨラムが病んでいたので、エズレルに下って彼をおとずれた。
列王記下 8:23-29 Colloquial Japanese (1955) (JA1955)
ヨラムのその他の事績および彼がしたすべての事は、ユダの歴代志の書にしるされているではないか。 ヨラムはその先祖たちと共に眠って、ダビデの町にその先祖たちと共に葬られ、その子アハジヤが代って王となった。 イスラエルの王アハブの子ヨラムの第十二年にユダの王ヨラムの子アハジヤが位についた。 アハジヤは王となったとき二十二歳で、エルサレムで一年世を治めた。その母は名をアタリヤと言って、イスラエルの王オムリの孫娘であった。 アハジヤはまたアハブの家の道に歩み、アハブの家がしたように主の目の前に悪をおこなった。彼はアハブの家の婿であったからである。 彼はアハブの子ヨラムと共に行って、スリヤの王ハザエルとラモテ・ギレアデで戦ったが、スリヤびとらはヨラムに傷を負わせた。 ヨラム王はそのスリヤの王ハザエルと戦うときにラマでスリヤびとに負わされた傷をいやすため、エズレルに帰ったが、ユダの王ヨラムの子アハジヤはアハブの子ヨラムが病んでいたので、エズレルに下って彼をおとずれた。
列王記下 8:23-29 リビングバイブル (JCB)
ヨラム王のその他の業績は、『ユダ諸王の年代記』に記録されています。 ヨラム王は死んで、ダビデの町(エルサレム旧市街)にある王室墓地に葬られました。 ヨラムの子アハズヤがユダの王となったのは、イスラエルの王アハブの子ヨラムの第十二年のことです。 アハズヤは二十二歳で王になりましたが、エルサレムで王位にあったのはわずか一年でした。彼の母のアタルヤは、イスラエルの王オムリの孫娘でした。 アハズヤはアハブ家の婿で、アハブ王の子孫と同じように主の前に悪を行いました。 ユダの王アハズヤは、イスラエル王のヨラムを助けてシリヤのハザエルと戦うために、ラモテ・ギルアデに出陣しました。ところが、その戦いでヨラムが負傷し、 イズレエルへ治療に帰ったので、その病床をアハズヤは見舞いに行きました。
列王記下 8:23-29 Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳 (新共同訳)
ヨラムの他の事績、彼の行ったすべての事は、『ユダの王の歴代誌』に記されている。 ヨラムは先祖と共に眠りにつき、先祖と共にダビデの町に葬られた。その子アハズヤがヨラムに代わって王となった。 イスラエルの王、アハブの子ヨラムの治世第十二年に、ユダの王ヨラムの子アハズヤが王となった。 アハズヤは二十二歳で王となり、一年間エルサレムで王位にあった。その母は名をアタルヤといい、イスラエルの王オムリの孫娘であった。 アハズヤはこのようにアハブの家と姻戚関係にあったため、アハブの家の道を歩み、アハブの家と同じように主の目に悪とされることを行った。 彼はアハブの子ヨラムと共にアラムの王ハザエルと戦うため、ラモト・ギレアドに行った。しかし、アラム兵がヨラムに傷を負わせた。 ヨラム王は、アラムの王ハザエルとのラマにおける戦いでアラム兵に負わされた傷をいやすため、イズレエルに戻った。ユダの王、ヨラムの子アハズヤは、病床にあるアハブの子ヨラムを見舞うため、イズレエルに下って行った。