コリント人への第二の手紙 2:7-17

コリント人への第二の手紙 2:7-17 Colloquial Japanese (1955) (JA1955)

あなたがたはむしろ彼をゆるし、また慰めてやるべきである。そうしないと、その人はますます深い悲しみに沈むかも知れない。 そこでわたしは、彼に対して愛を示すように、あなたがたに勧める。 わたしが書きおくったのも、あなたがたがすべての事について従順であるかどうかを、ためすためにほかならなかった。 もしあなたがたが、何かのことについて人をゆるすなら、わたしもまたゆるそう。そして、もしわたしが何かのことでゆるしたとすれば、それは、あなたがたのためにキリストのみまえでゆるしたのである。 そうするのは、サタンに欺かれることのないためである。わたしたちは、彼の策略を知らないわけではない。 さて、キリストの福音のためにトロアスに行ったとき、わたしのために主の門が開かれたにもかかわらず、 兄弟テトスに会えなかったので、わたしは気が気でなく、人々に別れて、マケドニヤに出かけて行った。 しかるに、神は感謝すべきかな。神はいつもわたしたちをキリストの凱旋に伴い行き、わたしたちをとおしてキリストを知る知識のかおりを、至る所に放って下さるのである。 わたしたちは、救われる者にとっても滅びる者にとっても、神に対するキリストのかおりである。 後者にとっては、死から死に至らせるかおりであり、前者にとっては、いのちからいのちに至らせるかおりである。いったい、このような任務に、だれが耐え得ようか。 しかし、わたしたちは、多くの人のように神の言を売物にせず、真心をこめて、神につかわされた者として神のみまえで、キリストにあって語るのである。

コリント人への第二の手紙 2:7-17 リビングバイブル (JCB)

今はむしろ、赦し、慰めてあげなさい。そうしないと、あまりの悲しみと絶望に打ちひしがれて、立ち直れなくなるかもしれません。 ですから、あなたがたが今もどんなに深くその人を愛しているか、どうぞ示してあげてください。 私の手紙は、あなたがたがどのくらい私の指示に従ってくれるかを確かめるためのものでした。 あなたがたがだれかを赦すなら、私もその人を赦します。何であれ、私が赦したのは、キリストの権威によって、あなたがたのために赦したのです。 赦さなければならない理由はほかにもあります。それは、サタンにだまされないためです。私たちはサタンのたくらみを知っているのです。 私がトロアスの町まで行った時、主は、福音(イエス・キリストによる救いの知らせ)を伝える絶好の機会を与えてくださいました。 ところがそこでは、信仰の友である、愛するテトスに会えなかったので、彼がどこにいるのか、その身に何か起こったのではないかと気がかりでなりませんでした。そんなわけで、何とかしてテトスに会おうと、人々に別れを告げ、まっすぐマケドニヤに向かったのです。 しかし、神に感謝します。神様は、キリストの働きのゆえに、私たちを勝利の行進に加えてくださいました。今、神様は私たちを通して、キリストの福音の香りを放ってくださいます。 私たちの生活には、かぐわしい香りが漂っています。それは、私たちのうちにあるキリストの香りであって、救われる人々にも、滅びる人々にも、一つの香りなのです。 滅びる人々にとっては、私たちは死と滅びの恐れに満ちた香りですが、キリストを知る人々にとっては、いのちを与える香りなのです。このような任務にふさわしい者とは、いったいどんな人でしょう。 それは、私たちのように神から遣わされて、真心から語る者、キリストの力によって神の前で語る者だけです。私たちは、多くの人がするように神のことばをつごうよく曲げて、売り歩くようなことはしません。

コリント人への第二の手紙 2:7-17 Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳 (新共同訳)

むしろ、あなたがたは、その人が悲しみに打ちのめされてしまわないように、赦して、力づけるべきです。 そこで、ぜひともその人を愛するようにしてください。 わたしが前に手紙を書いたのも、あなたがたが万事について従順であるかどうかを試すためでした。 あなたがたが何かのことで赦す相手は、わたしも赦します。わたしが何かのことで人を赦したとすれば、それは、キリストの前であなたがたのために赦したのです。 わたしたちがそうするのは、サタンにつけ込まれないためです。サタンのやり口は心得ているからです。 わたしは、キリストの福音を伝えるためにトロアスに行ったとき、主によってわたしのために門が開かれていましたが、 兄弟テトスに会えなかったので、不安の心を抱いたまま人々に別れを告げて、マケドニア州に出発しました。 神に感謝します。神は、わたしたちをいつもキリストの勝利の行進に連ならせ、わたしたちを通じて至るところに、キリストを知るという知識の香りを漂わせてくださいます。 救いの道をたどる者にとっても、滅びの道をたどる者にとっても、わたしたちはキリストによって神に献げられる良い香りです。 滅びる者には死から死に至らせる香りであり、救われる者には命から命に至らせる香りです。このような務めにだれがふさわしいでしょうか。 わたしたちは、多くの人々のように神の言葉を売り物にせず、誠実に、また神に属する者として、神の御前でキリストに結ばれて語っています。

コリント人への第二の手紙 2:7-17 Japanese: 聖書 口語訳 (口語訳)

あなたがたはむしろ彼をゆるし、また慰めてやるべきである。そうしないと、その人はますます深い悲しみに沈むかも知れない。 そこでわたしは、彼に対して愛を示すように、あなたがたに勧める。 わたしが書きおくったのも、あなたがたがすべての事について従順であるかどうかを、ためすためにほかならなかった。 もしあなたがたが、何かのことについて人をゆるすなら、わたしもまたゆるそう。そして、もしわたしが何かのことでゆるしたとすれば、それは、あなたがたのためにキリストのみまえでゆるしたのである。 そうするのは、サタンに欺かれることのないためである。わたしたちは、彼の策略を知らないわけではない。 さて、キリストの福音のためにトロアスに行ったとき、わたしのために主の門が開かれたにもかかわらず、 兄弟テトスに会えなかったので、わたしは気が気でなく、人々に別れて、マケドニヤに出かけて行った。 しかるに、神は感謝すべきかな。神はいつもわたしたちをキリストの凱旋に伴い行き、わたしたちをとおしてキリストを知る知識のかおりを、至る所に放って下さるのである。 わたしたちは、救われる者にとっても滅びる者にとっても、神に対するキリストのかおりである。 後者にとっては、死から死に至らせるかおりであり、前者にとっては、いのちからいのちに至らせるかおりである。いったい、このような任務に、だれが耐え得ようか。 しかし、わたしたちは、多くの人のように神の言を売物にせず、真心をこめて、神につかわされた者として神のみまえで、キリストにあって語るのである。