歴代誌下 34:1-9
歴代誌下 34:1-9 Colloquial Japanese (1955) (JA1955)
ヨシヤは八歳のとき王となり、エルサレムで三十一年の間世を治めた。 彼は主の良しと見られることをなし、その父ダビデの道を歩んで、右にも左にも曲らなかった。 彼はまだ若かったが、その治世の第八年に父ダビデの神を求めることを始め、その十二年には高き所、アシラ像、刻んだ像、鋳た像などを除いて、ユダとエルサレムを清めることを始め、 もろもろのバアルの祭壇を、自分の前で打ちこわさせ、その上に立っていた香の祭壇を切り倒し、アシラ像、刻んだ像、鋳た像を打ち砕いて粉々にし、これらの像に犠牲をささげた者どもの墓の上にそれをまき散らし、 祭司らの骨をそのもろもろの祭壇の上で焼き、こうしてユダとエルサレムを清めた。 またマナセ、エフライム、シメオンおよびナフタリの荒れた町々にもこのようにし、 もろもろの祭壇をこわし、アシラ像およびもろもろの刻んだ像を粉々に打ち砕き、イスラエル全国の香の祭壇をことごとく切り倒して、エルサレムに帰った。 ヨシヤはその治世の十八年に、国と宮とを清めた時、その神、主の宮を繕わせようと、アザリヤの子シャパン、町のつかさマアセヤおよびヨアハズの子史官ヨアをつかわした。 彼らは大祭司ヒルキヤのもとへ行って、神の宮にはいった金を渡した。これは門を守るレビびとがマナセ、エフライムおよびその他のすべてのイスラエル、ならびにユダとベニヤミンのすべての人、およびエルサレムの住民の手から集めたものである。
歴代誌下 34:1-9 リビングバイブル (JCB)
ヨシヤが王となったのはまだ八歳の時で、三十一年間エルサレムで治めました。 彼は、先祖ダビデの良い模範にならおうと心がけ、すぐれた政治を行いました。 十六歳になった治世の第八年には、ダビデの信じた神を熱心に求めるようになりました。その四年後には、ユダとエルサレムをきよめ始め、高台にある異教の祭壇や恥ずべき像を取り壊しました。 王が陣頭指揮をとり、バアルの祭壇が取り壊され、その上にある柱がたたき折られ、偶像が粉々に砕かれて、この偶像にいけにえをささげた者たちの墓にまき散らされました。 また、異教の祭司たちの骨を彼らの祭壇で焼くことによって、ユダとエルサレムの住民を偶像礼拝の罪からきよめました。 それからヨシヤは、マナセ、エフライム、シメオン、さらに遠くナフタリにある町々にまで行って同じようにしました。 異教の祭壇を取り壊し、偶像を粉々に砕き、石の柱を切り倒したのです。ヨシヤ王はイスラエル全土でこのようにしてから、エルサレムに戻りました。 偶像を一掃し、神殿のある場所をきよめてのち、第十八年に、王は神殿を修理するため、アツァルヤの子シャファン、エルサレムの長マアセヤ、エホアハズの子で市の財務官ヨアフを任命しました。 三人はさっそく、必要な献金を集めることにしました。献金は、神殿の入口で警備に当たるレビ人が集めました。エルサレムの住民はもちろん、マナセとエフライムから来た人々、および、その他の地方の者たちから寄せられた献金は、大祭司ヒルキヤに渡され、彼のもとで計算されました。
歴代誌下 34:1-9 Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳 (新共同訳)
ヨシヤは八歳で王となり、三十一年間エルサレムで王位にあった。 彼は主の目にかなう正しいことを行い、父祖ダビデの道を歩み、右にも左にもそれなかった。 その治世の第八年、彼がまだ若かったときに、父祖ダビデの神を求めることを始め、第十二年に聖なる高台、アシェラ像、彫像、鋳物の像を取り除き、ユダとエルサレムを清め始めた。 人々は彼の前でバアルの祭壇を壊し、彼はその上にあった香炉台を切り倒した。彼はアシェラ像をはじめ、彫像、鋳物の像を粉々に打ち砕き、これらにいけにえをささげた者たちの墓の上にまき散らした。 彼はまた祭司たちの骨をその祭壇の上で焼き、ユダとエルサレムを清めた。 マナセ、エフライム、シメオン、更にナフタリにまで及ぶ地方の町々でも、その周りの荒れた地方でも、 イスラエルの国中で彼は異教の祭壇やアシェラ像を取り壊し、偶像を打ち砕いて粉々にし、香炉台をすべて切り倒して、エルサレムに帰った。 その治世の第十八年に、その地と神殿を清めた後、王は自分の神、主の神殿を修理するため、アツァルヤの子シャファン、町の長マアセヤ、補佐官ヨアハズの子ヨアを遣わした。 彼らは大祭司ヒルキヤのもとへ行って、主の神殿に納められた献金を渡した。これは、門を守るレビ人がマナセとエフライム、イスラエルのすべての生き残りの者、またすべてのユダとベニヤミンおよびエルサレムの住民から集めたものであった。
歴代誌下 34:1-9 Japanese: 聖書 口語訳 (口語訳)
ヨシヤは八歳のとき王となり、エルサレムで三十一年の間世を治めた。 彼は主の良しと見られることをなし、その父ダビデの道を歩んで、右にも左にも曲らなかった。 彼はまだ若かったが、その治世の第八年に父ダビデの神を求めることを始め、その十二年には高き所、アシラ像、刻んだ像、鋳た像などを除いて、ユダとエルサレムを清めることを始め、 もろもろのバアルの祭壇を、自分の前で打ちこわさせ、その上に立っていた香の祭壇を切り倒し、アシラ像、刻んだ像、鋳た像を打ち砕いて粉々にし、これらの像に犠牲をささげた者どもの墓の上にそれをまき散らし、 祭司らの骨をそのもろもろの祭壇の上で焼き、こうしてユダとエルサレムを清めた。 またマナセ、エフライム、シメオンおよびナフタリの荒れた町々にもこのようにし、 もろもろの祭壇をこわし、アシラ像およびもろもろの刻んだ像を粉々に打ち砕き、イスラエル全国の香の祭壇をことごとく切り倒して、エルサレムに帰った。 ヨシヤはその治世の十八年に、国と宮とを清めた時、その神、主の宮を繕わせようと、アザリヤの子シャパン、町のつかさマアセヤおよびヨアハズの子史官ヨアをつかわした。 彼らは大祭司ヒルキヤのもとへ行って、神の宮にはいった金を渡した。これは門を守るレビびとがマナセ、エフライムおよびその他のすべてのイスラエル、ならびにユダとベニヤミンのすべての人、およびエルサレムの住民の手から集めたものである。