歴代誌下 22:1-7
歴代誌下 22:1-7 Japanese: 聖書 口語訳 (口語訳)
エルサレムの民はヨラムの末の子アハジヤを彼の代りに王とした。かつてアラビヤびとと一緒に陣営に攻めてきた一隊の者が上の子たちをことごとく殺したので、ユダの王ヨラムの子アハジヤが王となったのである。 アハジヤは王となった時四十二歳で、エルサレムで一年の間世を治めた。その母はオムリの娘で名をアタリヤといった。 アハジヤもまたアハブの家の道に歩んだ。その母が彼の相談相手となって悪を行わせたからである。 彼はまたアハブの家がしたように主の目の前に悪を行った。すなわちその父が死んだ後、アハブの家の者がその相談役となったので、彼はついに自分を滅ぼすに至った。 アハジヤはまた彼らの勧めに従って、イスラエルの王アハブの子ヨラムと共にラモテ・ギレアデへ行き、スリヤの王ハザエルと戦ったが、スリヤびとはヨラムに傷を負わせた。 そこでヨラムはスリヤの王ハザエルと戦った時、ラマで負ったその傷をいやすためにエズレルに帰った。ユダの王ヨラムの子アハジヤはアハブの子ヨラムが病気なのでエズレルに下ってこれを見舞った。 アハジヤがヨラムを見舞に行ったことによって滅びに至ったのは神によって定められたことである。すなわち彼がそこに着いた時、ヨラムと一緒に出て、ニムシの子エヒウを迎えた。エヒウは主がアハブの家を断ち滅ぼすために油を注がれた者である。
歴代誌下 22:1-7 Colloquial Japanese (1955) (JA1955)
エルサレムの民はヨラムの末の子アハジヤを彼の代りに王とした。かつてアラビヤびとと一緒に陣営に攻めてきた一隊の者が上の子たちをことごとく殺したので、ユダの王ヨラムの子アハジヤが王となったのである。 アハジヤは王となった時四十二歳で、エルサレムで一年の間世を治めた。その母はオムリの娘で名をアタリヤといった。 アハジヤもまたアハブの家の道に歩んだ。その母が彼の相談相手となって悪を行わせたからである。 彼はまたアハブの家がしたように主の目の前に悪を行った。すなわちその父が死んだ後、アハブの家の者がその相談役となったので、彼はついに自分を滅ぼすに至った。 アハジヤはまた彼らの勧めに従って、イスラエルの王アハブの子ヨラムと共にラモテ・ギレアデへ行き、スリヤの王ハザエルと戦ったが、スリヤびとはヨラムに傷を負わせた。 そこでヨラムはスリヤの王ハザエルと戦った時、ラマで負ったその傷をいやすためにエズレルに帰った。ユダの王ヨラムの子アハジヤはアハブの子ヨラムが病気なのでエズレルに下ってこれを見舞った。 アハジヤがヨラムを見舞に行ったことによって滅びに至ったのは神によって定められたことである。すなわち彼がそこに着いた時、ヨラムと一緒に出て、ニムシの子エヒウを迎えた。エヒウは主がアハブの家を断ち滅ぼすために油を注がれた者である。
歴代誌下 22:1-7 リビングバイブル (JCB)
エルサレムの人々は、ヨラムの末子アハズヤ(別名エホアハズ)を新しく王に選びました。アラビヤ(アラブ)人の略奪部隊が、年長の息子たちを殺してしまったからです。 アハズヤは二十二歳で王となり、一年間エルサレムで治めました。母親はオムリの孫娘のアタルヤでした。 彼もまた、母にそそのかされてアハブ王の悪い例にならいました。 父ヨラムの死後、アハブ家の者たちが助言者となったので、彼はアハブ王に引けを取らないほど、主の前に悪を行う王になりました。 アハブ家の悪い助言者に操られて、アハズヤは、イスラエルの王アハブの子ヨラムと同盟を結びました。その時、ヨラム王はシリヤの王ハザエルとラモテ・ギルアデで戦っていたので、アハズヤは軍を率いて援軍に駆けつけました。イスラエルの王ヨラムは負傷し、 治療のため、イズレエルに帰って来ました。ユダの王アハズヤは、彼を見舞いにイズレエルに行きました。 ところが、このことが彼のいのち取りになりました。神は、ヨラムと同盟を結んだアハズヤに罰を下そうと決めていたのです。ヨラムを見舞ったアハズヤは、彼と手を組んで、ニムシの子エフーとの戦いに出かけました。このエフーこそ、アハブ家を倒すため、神が立てた人物だったのです。
歴代誌下 22:1-7 Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳 (新共同訳)
エルサレムの住民は、ヨラムの最年少の子アハズヤを彼の代わりに王とした。アラブ人と共に陣営に攻め込んできた部隊によって年上のすべての王子が殺されてしまったからである。こうして、ユダの王ヨラムの子アハズヤが王となった。 アハズヤは四十二歳で王となり、一年間エルサレムで王位にあった。その母は名をアタルヤといい、オムリの孫娘であった。 この母が悪い勧めを与えたので、彼もアハブの家の道を歩んだ。 彼はアハブの家と同じように主の目に悪とされることを行った。父の死後、アハブの家の者が顧問となって彼を滅びに至らせたのである。 アハズヤは彼らの勧めによって、イスラエルの王、アハブの子ヨラムと共にアラムの王ハザエルと戦うため、ラモト・ギレアドに行った。しかし、アラム兵がヨラムに傷を負わせた。 ヨラム王は、アラムの王ハザエルとのラマにおける戦いで負った傷をいやすため、イズレエルに戻った。ユダの王、ヨラムの子アハズヤは、病床にあるアハブの子ヨラムを見舞うため、イズレエルに下って行った。 ――アハズヤがヨラムを訪れることによって滅ぶに至ったのは神による。――彼はそこに着くと、ニムシの子イエフのもとにヨラムと共に出かけた。イエフは、アハブの家を絶つために主が油を注がれた者である。
歴代誌下 22:1-7 Japanese: 聖書 口語訳 (口語訳)
エルサレムの民はヨラムの末の子アハジヤを彼の代りに王とした。かつてアラビヤびとと一緒に陣営に攻めてきた一隊の者が上の子たちをことごとく殺したので、ユダの王ヨラムの子アハジヤが王となったのである。 アハジヤは王となった時四十二歳で、エルサレムで一年の間世を治めた。その母はオムリの娘で名をアタリヤといった。 アハジヤもまたアハブの家の道に歩んだ。その母が彼の相談相手となって悪を行わせたからである。 彼はまたアハブの家がしたように主の目の前に悪を行った。すなわちその父が死んだ後、アハブの家の者がその相談役となったので、彼はついに自分を滅ぼすに至った。 アハジヤはまた彼らの勧めに従って、イスラエルの王アハブの子ヨラムと共にラモテ・ギレアデへ行き、スリヤの王ハザエルと戦ったが、スリヤびとはヨラムに傷を負わせた。 そこでヨラムはスリヤの王ハザエルと戦った時、ラマで負ったその傷をいやすためにエズレルに帰った。ユダの王ヨラムの子アハジヤはアハブの子ヨラムが病気なのでエズレルに下ってこれを見舞った。 アハジヤがヨラムを見舞に行ったことによって滅びに至ったのは神によって定められたことである。すなわち彼がそこに着いた時、ヨラムと一緒に出て、ニムシの子エヒウを迎えた。エヒウは主がアハブの家を断ち滅ぼすために油を注がれた者である。