テサロニケ人への第一の手紙 2:8-13

テサロニケ人への第一の手紙 2:8-13 Colloquial Japanese (1955) (JA1955)

このように、あなたがたを慕わしく思っていたので、ただ神の福音ばかりではなく、自分のいのちまでもあなたがたに与えたいと願ったほどに、あなたがたを愛したのである。 兄弟たちよ。あなたがたはわたしたちの労苦と努力とを記憶していることであろう。すなわち、あなたがたのだれにも負担をかけまいと思って、日夜はたらきながら、あなたがたに神の福音を宣べ伝えた。 あなたがたもあかしし、神もあかしして下さるように、わたしたちはあなたがた信者の前で、信心深く、正しく、責められるところがないように、生活をしたのである。 そして、あなたがたも知っているとおり、父がその子に対してするように、あなたがたのひとりびとりに対して、 御国とその栄光とに召して下さった神のみこころにかなって歩くようにと、勧め、励まし、また、さとしたのである。 これらのことを考えて、わたしたちがまた絶えず神に感謝しているのは、あなたがたがわたしたちの説いた神の言を聞いた時に、それを人間の言葉としてではなく、神の言として-事実そのとおりであるが-受けいれてくれたことである。そして、この神の言は、信じるあなたがたのうちに働いているのである。

テサロニケ人への第一の手紙 2:8-13 リビングバイブル (JCB)

心からあなたがたを愛していた私たちは、ただ神の教えを伝えるだけでなく、いのちさえ喜んで与えたいと思うほどでした。それほどまでに愛したのです。 愛する皆さん。私たちが、生活費のために、どれほど苦労して働いたか覚えているでしょう。そちらにいた時も、夜昼休みなく、汗水流して働きました。それは、神の福音を伝えるにあたって、だれにも経済的な負担をかけたくないと思ったからでした。 一人一人に対して、私たちが純粋な気持ちで、だれからも非難されないように行動したことは、神だけでなく、あなたがたも証人となってくれるはずです。 父親が子どもをさとすように一人一人に勧め、また、励ましてきました。それを忘れてはいないでしょう。 また、あなたがたの日々の生活が、あなたがたを御国と栄光とに招いてくださった神の御心にかない、喜ばれるものとなるようにと教えてきました。 私たちは、神に感謝せずにはいられません。私たちが伝道した時、あなたがたはそのことばを人間の口から出たものと見ず、神のことばとして聞いてくれたからです。事実、この神のことばは、信じる者の生活を一変させるものです。

テサロニケ人への第一の手紙 2:8-13 Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳 (新共同訳)

わたしたちはあなたがたをいとおしく思っていたので、神の福音を伝えるばかりでなく、自分の命さえ喜んで与えたいと願ったほどです。あなたがたはわたしたちにとって愛する者となったからです。 兄弟たち、わたしたちの労苦と骨折りを覚えているでしょう。わたしたちは、だれにも負担をかけまいとして、夜も昼も働きながら、神の福音をあなたがたに宣べ伝えたのでした。 あなたがた信者に対して、わたしたちがどれほど敬虔に、正しく、非難されることのないようにふるまったか、あなたがたが証しし、神も証ししてくださいます。 あなたがたが知っているとおり、わたしたちは、父親がその子供に対するように、あなたがた一人一人に 呼びかけて、神の御心にそって歩むように励まし、慰め、強く勧めたのでした。御自身の国と栄光にあずからせようと、神はあなたがたを招いておられます。 このようなわけで、わたしたちは絶えず神に感謝しています。なぜなら、わたしたちから神の言葉を聞いたとき、あなたがたは、それを人の言葉としてではなく、神の言葉として受け入れたからです。事実、それは神の言葉であり、また、信じているあなたがたの中に現に働いているものです。

テサロニケ人への第一の手紙 2:8-13 Japanese: 聖書 口語訳 (口語訳)

このように、あなたがたを慕わしく思っていたので、ただ神の福音ばかりではなく、自分のいのちまでもあなたがたに与えたいと願ったほどに、あなたがたを愛したのである。 兄弟たちよ。あなたがたはわたしたちの労苦と努力とを記憶していることであろう。すなわち、あなたがたのだれにも負担をかけまいと思って、日夜はたらきながら、あなたがたに神の福音を宣べ伝えた。 あなたがたもあかしし、神もあかしして下さるように、わたしたちはあなたがた信者の前で、信心深く、正しく、責められるところがないように、生活をしたのである。 そして、あなたがたも知っているとおり、父がその子に対してするように、あなたがたのひとりびとりに対して、 御国とその栄光とに召して下さった神のみこころにかなって歩くようにと、勧め、励まし、また、さとしたのである。 これらのことを考えて、わたしたちがまた絶えず神に感謝しているのは、あなたがたがわたしたちの説いた神の言を聞いた時に、それを人間の言葉としてではなく、神の言として――事実そのとおりであるが――受けいれてくれたことである。そして、この神の言は、信じるあなたがたのうちに働いているのである。