列王記上 22:41-49
列王記上 22:41-49 Colloquial Japanese (1955) (JA1955)
アサの子ヨシャパテはイスラエルの王アハブの第四年にユダの王となった。 ヨシャパテは王となった時、三十五歳であったが、エルサレムで二十五年世を治めた。その母の名はアズバといい、シルヒの娘であった。 ヨシャパテは父アサのすべての道に歩み、それを離れることなく、主の目にかなう事をした。ただし高き所は除かなかったので、民はなお高き所で犠牲をささげ、香をたいた。 ヨシャパテはまたイスラエルの王と、よしみを結んだ。 ヨシャパテのその他の事績と、彼があらわした勲功およびその戦争については、ユダの王の歴代志の書にしるされているではないか。 彼は父アサの世になお残っていた神殿男娼たちを国のうちから追い払った。 そのころエドムには王がなく、代官が王であった。 ヨシャパテはタルシシの船を造って、金を獲るためにオフルに行かせようとしたが、その船はエジオン・ゲベルで難破したため、ついに行かなかった。 そこでアハブの子アハジヤはヨシャパテに「わたしの家来をあなたの家来と一緒に船で行かせなさい」と言ったが、ヨシャパテは承知しなかった。
列王記上 22:41-49 リビングバイブル (JCB)
一方、イスラエルの王アハブの第四年に、ユダでアサの子ヨシャパテは王となりました。 ヨシャパテが王位についたのは三十五歳の時で、二十五年間エルサレムで治めました。母親はシルヒの娘のアズバです。 彼は父アサにならって、すべての面で主に従いました。ただし、丘の上の礼拝所だけは取り除かなかったので、人々は相変わらず、そこでいけにえをささげ、香をたき続けました。 ヨシャパテ王はまた、イスラエルのアハブ王と平和協定を結びました。 王のその他の行為、輝かしい功績と武勲などは、『ユダ諸王の年代記』に記録されています。 王は、父アサの時代からあった男娼の家を一つ残らず取り除きました。 そのころ、エドムには王がなく、役人が置かれているだけでした。 ヨシャパテは、オフィルにある金を手に入れようと大船団をつくりました。ところが、その船団がエツヨン・ゲベルで難破したので、目的を果たせませんでした。 その時、イスラエルの王アハブの王位を継いだ息子のアハズヤは、「私の家来もいっしょにオフィルへ行かせてください」と申し出ました。しかしヨシャパテは、その申し出を断りました。
列王記上 22:41-49 Seisho Shinkyoudoyaku 聖書 新共同訳 (新共同訳)
アサの子ヨシャファトは、イスラエルの王アハブの治世第四年にユダの王となった。 ヨシャファトは三十五歳で王となり、エルサレムで二十五年間王位にあった。その母は名をアズバと言い、シルヒの娘であった。 彼は父アサの道をそのまま歩み、それを離れず、主の目にかなう正しいことを行った。 しかし、聖なる高台は取り除かなかった。民は依然として聖なる高台でいけにえをささげ、香をたいていた。 ヨシャファトはイスラエルの王との間に平和を維持した。 ヨシャファトの他の事績、彼のあげた功績、また戦いについては、『ユダの王の歴代誌』に記されている。 彼は父アサの時代に残っていた神殿男娼の残りをこの国から除き去った。 エドムに王はなく、王の立てた役人がいた。 ヨシャファトはタルシシュの船を数艘造り、金を求めてオフィルに行こうとしたが、船団はエツヨン・ゲベルで難破し、行くことができなかった。
列王記上 22:41-49 Japanese: 聖書 口語訳 (口語訳)
アサの子ヨシャパテはイスラエルの王アハブの第四年にユダの王となった。 ヨシャパテは王となった時、三十五歳であったが、エルサレムで二十五年世を治めた。その母の名はアズバといい、シルヒの娘であった。 ヨシャパテは父アサのすべての道に歩み、それを離れることなく、主の目にかなう事をした。ただし高き所は除かなかったので、民はなお高き所で犠牲をささげ、香をたいた。 ヨシャパテはまたイスラエルの王と、よしみを結んだ。 ヨシャパテのその他の事績と、彼があらわした勲功およびその戦争については、ユダの王の歴代志の書にしるされているではないか。 彼は父アサの世になお残っていた神殿男娼たちを国のうちから追い払った。 そのころエドムには王がなく、代官が王であった。 ヨシャパテはタルシシの船を造って、金を獲るためにオフルに行かせようとしたが、その船はエジオン・ゲベルで難破したため、ついに行かなかった。 そこでアハブの子アハジヤはヨシャパテに「わたしの家来をあなたの家来と一緒に船で行かせなさい」と言ったが、ヨシャパテは承知しなかった。